僕のあまのじゃく#2

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくブリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「お祭り」

実家の近くにある公園では夏にお祭りがあった。
自治体が力を入れて盛り上げようと奮起していたけれど、近隣にある米軍基地が開催している花火大会の方が何倍も規模が大きく、キャデラックの隣で軽トラを乗り回している気分になった。
当時の幼い私でも、米国の国力と市の力に歴然の差を感じていたけれど、その規模のお祭りでも、夕方になれば太鼓の音がウーハー(偏見だけどフェスとかクラブが好きな人が好む低音用スピーカー)を積んだヤンキー車のように街に響いて、胸が高鳴り、心の中はワクワクさんになっていた。

お祭りの会場は、地元の皆が汽車ぽっぽ公園と呼んでいた。
公園の真ん中に汽車を模したコンクリートモニュメントが置いてある公園で土管の中には、スプレーで落書きがしてあったけれど、その中に、電話番号が書いてあったのを覚えている。
あれって、実際かけたらどこに繋がるんだろう。
友達はかけたら仲間由紀恵に繋がったと言っていたけれど、だとしたら今からでも汽車ぽっぽ公園に行って電話番号を登録しにいかなければならない。

お祭りの話に戻すと、当時、私は小学3年生から野球を始めていて、周囲からは夏休みの時期は野球の練習に没頭していると認識があったためか、それともそもそも友達が少なかったからなのか、中学生になるまで誰かからお祭りに誘われたことはなかった。

だから、お祭りがある度に一人で華やいだ汽車ぽっぽ公園へ向かった。
親からせっかく行くなら楽しんでらっしゃい、と言われてもらった200円を握りしめ、かき氷と綿飴を食べに行くためだけに。
別に寂しくはない。
お祭りなんて、昔は豊作を願うためだったり不満をためた庶民のガス抜きの目的があったりする。
その意味合いにおいては意味がない催し物。
そこに綿飴の屋台が期間限定でできるから行くだけだし。
だから、誰かに誘われて行くという認識は今でもない。

喧騒の中見つけた同士

小学5年生だったその時も例に漏れることなく、お祭りに乗り込んだらすぐにお目当ての安っぽい味のするかき氷を食べ、単身で盆踊りで知らない人たちの輪に混じって東京音頭を踊っていた。
時折、友人からチラホラと「来てたんだ」と声をかけられるものの、みんな2人組や3人組で来ていたから、ああ、彼らは約束をしてここに来ているんだ、とより孤独感が際立った。

一緒に回ろう?と言われたこともあったけれど、最初から一緒に回るつもりじゃない人と合流しても楽しめる気がしなかったので。
今盆踊りズ・ハイだから後で合流するよ、と謎の理由で断ったのを覚えている。
単身で乗り込んだ祭りに小学生ながら、若干の後ろめたさを感じていたのだろう。

ただ、そこで私と同じようにお祭りの喧騒の中、一人でたしなむようにかき氷を頬張る人がいた。
アラレちゃん音頭をBGMに、ベンチに座って一人の時間を楽しんでいる姿を見て、ああ、きっと私もこんな風にお祭りを楽しんでも良いんだ、と子供ながら、心が幾ばくか救われた気持ちになったのを覚えている。

ただ、その優雅に一人の時間を過ごしている人をよく見ると、悲しいかな、それは、私の弟だった。
随分見慣れた姿な訳だ。
血は争えないと言うけれど、まさか弟も誘われずに一人で祭りに乗り込んでいたとは。
親も、お祭りに行ってくる!と言う子供2人とも、単身でかき氷を貪っていたとは思っていなかっただろう。
今思うと、情けない。
しかも、弟の背中を見て、勉強させられることがあるとは。
人生は長く生きていればより多くを学ぶ訳でもないし、年下から教えられることもあるのだなと知った。
そして、何より、恥ずかしかった。
そんな思い出がある。

ー完ー

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