僕のあまのじゃく#9

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくブリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「サイン」

仕事の移動で僕と高岸とマネージャーの3人で歩いていると、「ティモンディさん!ファンなんです!サインもらっても良いですか?」と言ってきてくれる方が時折いる。

ありがたや、ありがたや。

我々のような身体だけ一丁前に大きいだけの隙間産業芸人のサインが欲しいだなんて、この稀有な存在は大切にしないといけないな、と声をかけてもらう度に思う。
サンマさんもサンドウィッチマンさんもサインをお願いされたら断ることはしないし、当然、私達も求められれば、誠意をもって対応する所存だ。

ただ、「お願いします」と色紙とペンを、高岸に渡して喜んでいる人は、8割4分9厘の可能性で、それで満足して、終わる。
イチローでもヒットを打つ確率は3割超えるのがやっとなので、球界に出ればレジェンド間違いなしの打率なのはお分かりだろう。

終わるというのは、つまり、高岸をピン芸人だと思っていたり、もしくは僕の存在に気付いていないため、高岸がサインをしたら、それで撤退していく人を指す。
高岸がサインをし終わると「やったー!ありがとうございます」と嬉々として去るか、もう一押しの写真なんかお願いして、高岸と一緒に撮ってもらって去っていく。

それに対してはなんとも思わないし、私自身は、全然構わない。
ティモンディのファンが、シンプルに喜んでくれているならば、こちらとしても喜ばしい。
逆の立場になった時に、相手に気づかなければサインを求めることもできないし、そもそも認識していたとしてもサインを求めたいと思う相手でもないだろう。

そのことは別に良いのだけれど、ただ、そんな私のことを認識していない相手と対峙した時、高岸がサインをすると、流れでそのまま高岸が私にその色紙とペンを渡してくることがある。

これが厄介。

私という人間がティモンディだと知らない人からは、私がペンを走らせると、あ、その人もサインするんだ…と、折角の御馳走にケチャップをぶっかけられているのを見ているかのような目を向けられることがある。
これが非常に申し訳ない。

向こうから「いや、貴方がサインするのは都合が悪いです」と言ってくれればこっちも楽なのだけれど、そんなこと直接言うなんて良心が咎めて言えない感じだし、私も「いや、俺はサインしなくていいよ」と言うのも、違う。

サインは断らない、という自分の主義に反するので書かざるを得ないのだ。
精神的潔癖症が故、相手が少し引きつった顔をしていても、私は色紙を高岸から手渡された以上、もう書くしかないのだ。

言っていた事と反する事を許容できるほど自分に優しくはなれない。
結果、誰も得しない結果になる。
さっきまで舞い上がっていたのに、大体のファンは私がペンを走らせている間で、露骨にテンションが落ち着くに至る。
余計なことしちゃってごめんねぇ、といたたまれない気持ちはある。

けれど、一度走り出した私は止めることもできないのだ。
書き終わったら、そのまま色紙を手渡すのだけれど、きっと高岸の手から受け取りたかっただろうねえ、忍びねぇなぁ。とこっちも半ベソで色紙を手渡す。

見知らぬ半ベソの人間からも加筆されたサインでも、まあ尻拭きには使えるだろうから、きっと無駄にはなるまい。
ただ、そうならない場合も1割5分1厘の確率である。

高岸がサインをしていて、私は最初の相手の反応を見て、伝説のバッターパターンだと思い、お互い辛い思いをしないように、そそくさと先に進もうとすると、「あの、前田さんもお願いしたいです」と後ろから追ってきてくれる人がいる。

いや、前田という名前を呼んでもらうこともほぼ無いか。
読者諸兄姉に良く思われたくてちょっと話を盛りました。
私も人間だな。

ただ、そういう時は、ああ、立ち止ってあげなくてごめんよおおおと罪悪感にかられ、これはこれでで半ベソの状態でサインをすることになる。
このコラムを読んで私の胸のうちを知っている諸君は、半ベソにならぬよう気を使って、まず最初に私にサインをお願いしてもらいたい。
我ながら面倒な人間だと自負しているだけ、重症では無いと思いたい。

ー完ー

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