僕のあまのじゃく#11

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

▷▷これまでのコラムはコチラから◁◁

ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくブリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「歯磨き」

これだけ科学技術が発達したというのに、歯ブラシってほとんど形状が変わってないよね。
あれだけ「努力しろ」だの「成長しろ、現状で満足するな」だの、青春時代は大人達に叱咤のシャワーを全身で浴びさせられて育ってきたのに、私が生まれてからというもの、記憶している歯ブラシなんて、今となんら変わっていないではないか。
どうなってんだ。

それもそのはず、今の形の歯ブラシが出来たのは1914年。
小林富次郎商店(創業時のライオン社)が今の歯ブラシを作ったらしい。
100年ほどの間、今の形のまま奴らはここまでやってきているのだ。
常に上を目指せ!と鼻息荒くしていた指導者達には、歯ブラシの普遍性についてはどう思っているのか意見を聞きたいところ。

奴らにももっと改善できる余地はあるのではないだろうか。
これは慢心だ!企業の怠慢だ!と声をあげそうになるくらいには興味を持ったので、調べてみると歯ブラシの歴史は1914年から始まった訳ではなく、もっと昔を辿れば、江戸時代の浮世絵には歯磨きしている女性の絵がいくつも残っているみたいで、更に遡ると、歯ブラシは飛鳥時代に習慣が伝わってきたみたいだった。

592年くらいには歯ブラシがあったのだろう。
大御所も大御所。大先輩じゃないか。
そう聞くと、自分と奴らを同列に語るのも御門違いなのかもしれない。

たかが29年しか生きていない小童に飛鳥時代から続く彼らに対してやいのやいの言う筋合いはない。
それだけの歴史がある中で、今のナイロンの歯ブラシからほぼ何も変わっていないということは、もうだいぶ昔に歯ブラシというものは完成していたのだろう。

今思えばあの練習も歯磨きだったのか…

まだ人間として未完である自分としては、何も変える必要のない完璧と呼べる状態になれているのは羨ましい限り。
一方、歯磨き粉の進化は目覚ましいと言える。
400年前にも歯磨き粉なるものが存在していたようだけれど、調べてみれば、当時の歯磨き粉の商品のキャッチコピーは
・口の悪しき臭いを消しさる
・歯を白くする

と今とそこまで売り出し文句は変わらないものの、その実態は、なんと砂を使っていたらしい。

砂で歯磨きってワイルドにも程がある。スギちゃんさんでもしてないだろう。
当時は房総半島で取れた砂を精製して、ハッカ等を混ぜたものを使っていたようだが、どうやっても、砂で出来た歯磨き粉なんてお世辞にも良いものだとは思えない。

ここから、現在の歯磨き粉へ至るのは、凄い進化ではないかと思う。
しかしどうやら、汚れの落ち方は今の歯磨き粉と砂の歯磨き粉では然程変わらないらしい。
そんな変わらないのかい。
いや、目も当てられない私の過去を思い返してみると、確かにそうだったかもしれない。
というのも、高校時代の野球部だった頃は、毎日ヘッドスライディングを星の数ほど繰り返していたので、グラウンドの土を馬鹿みたいに口に入れては吐き出してをしていたためか、今よりも虫歯が出来にくかった。

そんな気がする。言われてみればだけれど。
砂で口の中を磨くことを自然としていたのだ。
夏場のグラウンドの土は乾燥して特に酷かった。
こまめにグラウンドに水を巻ければ良いのだけれど、そういう訳にもいかず、白土で風に土が舞いやすく、河川敷で強い風が吹きやすい環境だった母校の野球部のグラウンドは、そもそも呼吸しているだけで鼻や口に砂が入ったりする。

さらにペッパーという、ひたすら地面に飛び込んで立ち上がってを意識が無くなるまで続ける練習があるのだけれど、今思えば、あの練習は、練習の日々は、もはや歯磨きだったのかもしれない。

当時は練習後は口の中が砂まみれになって、ペッパーの練習に一体なんの意味があるんだ、と辟易していたけれど、あれは歯磨きだったんだと思うと、なんだかあの頃の私も少しは救われるような気がする。
ただ練習していただけじゃないんだぞ、って高校生の頃の自分に言えるなら伝えてあげたいな。
いや、もっと伝えるべきことはあるか。

ー完ー

これまでのコラムは▷コチラ◁からチェック!

ティモンディ前田裕太「大人になってからの友達ってどうやって作るの?」

ティモンディ・前田裕太「売れても変わらないようにするにはどうすれば?」クレバーすぎる頭のナカ