僕のあまのじゃく#19

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくブリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「お笑い」

実は、お笑い芸人になる前に人前でネタを披露したことがある。
と言っても小学校4年生の頃の話になるのだけれど。
同じクラスの高塚くんを誘ってお笑い係を設立して、給食の時間にネタをしていた。

私の小学校は全員何かしらの係に携わらなくてはいけなくて、先生からお前達どうする?と問われた時に、大人が作った係なんかに当てはめられてたまるか、と考えて先生にお笑い係の創設を提案した。
よく先生も許可したものだなあと今になって思う。

当時の私は随分と誰かの言いなりになるのが嫌だったのだろうけれど、数ある選択肢の中からお笑い係というものを提案したのは、単に反発心からなだけではなく昔からお笑いに強く興味を持っていたからなのだろう。

それからというもの、月に二回ほど、出された給食を急いで食べて、その時間で考えたコントやら漫才やらをクラスのみんなに披露した。
今でも覚えているけれど、お墓参りのコントは信じられないくらいウケた。

高塚くんが亡くなって幽霊になった状態でお墓にいて、そこに私がお参りにいく設定で、そこで手を合わせて私が先生や学校の偏見(今の思うとただの文句だったけれど)を言うのだけれど、これが爆笑でクラス全体が上下に揺れたほどだった。

自分が言った言葉でみんなが笑っていることに快感を得ていた私は、これがきっかけだったかは定かではないけれど、ことあるごとに前に出てふざけるようになった。
私は度々、芸人になる気は無かったとインタビューを受ける度に答えているけれど、幼少期にそんな経験を自ら進んでしていたということは、もうすでに小学校の頃からお笑い芸人になるイントロが始まっていたのだろう。

すでに始まっていたお笑い人生

「大学院で法律を勉強して法曹の世界に飛び込んで活躍するつもりでいたのに、なんか相方に誘われて気がついたらここにいます」
なんて雑誌では受け答えをするのだけれど、満更でもないのかもしれない。
当時の私は水曜日の夜にやっていたワンナイに憧れていた。

リアルタイムで視聴し、その上でVHSに録画して毎週擦り切れるまで見ていた私はバラエティ戦士になっていて、当時はお笑いの構造なんてよく分かっていなかったけれど、ゴリエや轟などの名物キャラクターを見て、ああなりたい、やってみたいと思ったのだろう。

それでも、先生に提案してお笑い係を創設したその行動力には自分でも驚かされる。
5年生に進級する前に渡される「あゆみ」と呼ばれる成績表の係りの欄に私の所属している係りがお笑い係なんて記入してあったものだから、それを見た母親は、学校でそんな係があるの?あんた知らないところで何してるの?と質問攻めにしてきた。

あれこれ聞かれることに面倒だなあと不快感を覚えていたけれど、冷静に考えると私が親でもそう思う。
当時の私にあったのは、やってみたいという初期衝動だけなのだけれど、これは偉大なものだと思う。

やりたいという気持ちで動いたその結果、今となってはやって良かったなあという思い出ができているし。
スタジオ収録やロケ先でのやり取りで数々滑ったりしているけれど、あれこれ考えておかしくなってしまいそうな時には、当時のような人を笑わせたいという初期衝動を持った小学4年生のころの私を蘇らせて原点を思い出したい。
各家庭の窓ガラスを我々のやり取りで割る気概で進んで行こうと思う。

ー完ー

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