僕のあまのじゃく#20

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくブリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「抱負」

新年、あけましておめでとうございます。
別に2021年から22年になったのは、ただ時が流れただけで誰の努力があった訳でもないのに、一体誰に対しての何のおめでとうなのだろうか。

言われた方は何を思えばいいのだろうか。
おめでとうございます、言われて「ありがとうございます」と返すのも違う。
褒めてねぇわと一蹴されておしまいである。
みんな揃いも揃って言い合っているが、疑問に何故みんな思わないのだろうか。
2022年になったという事実はそこまでありがいことなのか。
私にはそうは思えないのだけれど。

これが調べてみると、新年になると年神様という神様をお迎えするから、どうやらそれがおめでたいらしい。
その年神様は我々の先祖にあたるようで。
我々の先祖が神様になって正月に訪れるなら、それは確かにめでたい日なのかもしれない。
もしじいちゃんが我が家に天界から降りてきてくれるのであれば、それはおめでとう、だ。
「お前芸人になったのか、親不孝者め」と感嘆しているだろうけれど。

その先祖の年神様が子孫の家庭に訪れるので迷子にならないように目印で門松を置くらしい。
そんな門松がGoogleマップのピン的な役割をになっているならば門松を置いてない我が家にはじいちゃんはたどり着いてないのかもしれない。
パチンコでも打ってそうだあ。

本来は先祖という神様を迎え入れるために、家がめでたい状態になる。
おめでとうございます、は、人に言うというよりも、神様が来てめでたい状態を周りの人と確認し合う作業ってことなんですね。

ここで本題

さて、新年を迎えて、2022年の私の抱負なのですが、先述の「新年が明けたのは、おめでとうございますに値する出来事なのか?」と考えたように、細かいところに疑問を持たず、素直な気持ちで、世の中にあるものに対してそれはそれと受け入れる気持ちを持つことです。

2020年の連載スタートから今日で2回目の年越しを迎えたわけなのだけれど、このコラムは1歳半を過ぎたあたりのまだまだ赤子。
あれやこれや疑問に思ったとしても、みんなが否だと言わないことは、おそらく歴史を辿ると基本的には理由のあるもの。

そもそもどうなのか、とか野暮なことを比較的考えてしまう性質の人間なのですが、これも2022年、このコラム上で前田が成長してきているではないかと読者諸兄姉を唸らせることを目標に、別にいいではないか、と思うようなことに思考を巡らせすぎず、真っ直ぐな気持ちで世の中と向き合っていきたいと思う。
まあ、そんな抱負を持ちながらも今回は2行目から早速失敗しているけれど。

加えて仕事の面での抱負を言うのであれば、メディアの仕事も当然頑張るのですが、もう少し舞台に立つ機会なんかも増やしていきたいなと思います。
お客さんの前で、あれこれやっていたのが活動の原点な訳ですし。
観に来れない人のためにテレビでも本職であるネタをやっている姿を見せれるよう頑張りたいと思います。
今後とも応援よろしくお願いします。

ー完ー

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