LGBTQ について映画から考えてみた

"同性愛"や"トランスジェンダー"などの性の多様性を指す「LGBTQ」(※)

言葉としての認識はあるものの、関心を持っていたり、身近に感じている人はそう多くないのでは?

そこで、映画を通していろんな方の意見を聞きながら、arなりに考えてみたいと思います。

愛や性について、自分の人生について、改めて振り返るきっかけになるかもしれません。

今回お話をお聞きしたのは、建築デザイナー・ファッションモデルのサリー楓さん。

※様々な表現の仕方がありますが、この企画ではLGBTQで統一します。

©2021「 息子のままで、女子になる」

▼サリー楓さんがセレクトした映画

1:『息子のままで、女子になる』
男性としての性別に違和感を持ち続けていた学生が、女性として生きることを決意するドキュメンタリー

©2021「息子のままで、女子になる」

2:『アデル、ブルーは熱い色』
そっけなくなった恋人に寂しさを覚えて許されない行動をとってしまう

©2013- WILD BUNCH - QUAT’ SOUS FILMS FRANCE 2 CINEMA SCOPE PICTURES RTBF (T l vision belge) - VERTIGO FILMS U-NEXTにて配信中

3:『カランコエの花』
突然行なわれたLGBTQについての授業で、クラス内に同性愛者がいると噂が広まる…

©2018 中川組 U-NEXTにて配信中

4:『海に向かうローラ』
性転換手術を目前とした娘とそれを恥じる父親が、母の遺骨を巡って向き合うロードムービー

Screened at ‘Movies that Matter’ 2020( Dutch human rights movie festival)‐ オランダ人権映画祭‐ Film director / scenario : Laurent Micheli Production: 10:15! Production, Lunanime, Wrong Men

5:『スイミー』
ひとりぼっちのスイミーが仲間と出会って強くなる

¥1,601/好学社

理想は、自分が何者であるかを納得すること

「レインボー・リール東京というLGBTQの映画祭で観た『カランコエの花』は、ちょっと切ない短編映画です。ハッピーエンドで終わらせない、最後まで歯切れの悪い物語にリアリティを感じました。レズビアンであることを隠していた女子高生は、保健室の先生に相談をします。すると先生はよかれと思ってLGBTQについての授業をする。これが、クラスに同性愛者がいるというアウティング(本人以外の第三者が無許可でカミングアウトすること)になってしまうのです。この映画を観て思い出したのは、小学生の時に電車でおばあさんに席を譲ると「年寄り扱いするんじゃないよ!」と叱られたこと。その人にとっては、席を譲られるのが不愉快だったんですよね。この映画と次元は違うんですけど、私にはそれが強烈な記憶で。悪意なく人を傷つけてしまうのは、人間社会に無数に転がっているなと改めて思いました。

実際、自分のジェンダーをカミングアウトするために職場や学校をやめる人もいます。それくらい本人には重大なこと。私が性別の違和感を解消しようと決意したのは、就職活動のタイミングでした。男子として過ごしていた大学院時代に、ある日突然メイクをして、服装も変えて登校。ゼミの教室に入ると、みんなが一斉にこっちを見て「誰!?」って驚いていました。でも、その時に知ったんですけど、前の年に先輩がゲイであることをカミングアウトしていたらしく、みんなちょっと慣れている様子でした(笑)。現在、LGBTQは11人に1人と言われているので、20人の研究室だったら考えられる確率ですね。

カミングアウトされた側の方にぜひ想像していただきたいのは、言葉を受けるのは一瞬だけど、伝える側は何年も悩んできた時間があること。その上で、無理に賛同する必要はないと思っています。大事な人からのカミングアウトを受け入れてあげたら、あとはご自身でどう関わっていくかを見つけてほしいです。

父に自分のジェンダーを話した時は、「18年間一緒に過ごしてきたから、それでもまだ息子だと思っている」と言われました。一方で友達は、私を女子だと言います。この対比をドキュメンタリーに収めたのが『息子のままで、女子になる』です。タイトルは自分でつけたのではないんですけど、おそらく主語は父なんですよ。父にとって息子のままで、女子になる。そんな意味で私は捉えています。

最初、自分の泥臭いシーンが映し出されたこの映画は好きになれなかったんです。でもあるイベントで『海に向かうローラ』を観て考えが変わりました。お母さんを亡くしたトランスジェンダーのローラは、離れて暮らしていたお父さんと遺骨を奪い合うんです。散骨するために二人で海へ向かう道中、娘として扱わないお父さんと、完全に女子として生活するローラは折り合いがつかない。でもなんとなく仲良くなっていきます。私は自分のドキュメンタリーの中で、最後まで父に息子と呼ばれたまま、東京で女子として生きている。親に認められないアイデンティティは胸を張れる状況じゃないと感じていたけど、ローラとお父さんを見ていると、平行線でもいいのかなと思えたんです。お互いの主張に優劣をつけるよりも、ちゃんと親子で向き合った事実に、もっと自信を持つべきだと教えてもらいました。

恋愛映画で好きなのは『アデル、ブルーは熱い色』。自分はレズビアンだと自覚していなかった女の子が、ブルーの髪の女の子との出会いが起爆剤となってセクシャリティを揺さぶられます。叶わない想いや切なさに胸が締めつけられるんですけど、周りのハッピーな人たちを描くことで孤独感が相対的に強調される、文学的な奥深さを感じる作品です。

LGBTQからは離れますが、絵本の『スイミー』がすごく好きです。小学校の国語の教科書に載っていて、クラスの中の自分と重ね合わせていました。当時、休み時間に女子とシール交換をしていると周りにからかわれ、先生には「男の子たちと外で遊びなさい」と言われてしまう。だから自己防衛で絵を描き始めました。全然楽しくなかったけど、居場所がないから続けていただけ。そのうち上達してきて、廊下のポスターや遠足のしおりの絵を任されると、みんなが褒めてくれるようになりました。黒い魚が自分のハマるピースを見つけるスイミーのように、自分が役に立てる場所をなんとなく見つけたのが小学校2年生でした。その頃、マンションのチラシの間取り図に自分の部屋を妄想して描き足す遊びもしていました。両親から「それは建築家という職業だよ」と教えられたのがきっかけで、今こうして建築家になっています。自己防衛でやっていたお絵描きが、自己実現につながったんですよね。

トランスジェンダーは周囲の環境でどう生きられるか決まる部分があります。息子か、女子かのカテゴリーは自分を保護してくれたり、傷つけたりもするんですけど、最終的には何者であるかを本人が納得できることが理想なのかなと思います。男であるとか女であるとか、おじさんであるとかおばあちゃんであるとか、一番心地いい状態を見つけて生きていきたいです。」

Text:Iida Honoka
Composition:Kamakura Hiyoko