僕のあまのじゃく#36
ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。
ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡
前田裕太(まえだ・ゆうた)
PROFILE:1992年8月25日、神奈川出身。グレープカンパニー所属のお笑い芸人ティモンディのツッコミ、ネタ作り担当。愛媛県の済美高校野球部に所属した同級生・高岸宏行が相方で、2015年1月に結成。2人の野球経験を活かした『ティモンディベースボールTV』の登録者数は23万超え。ar web連載『僕のあまのじゃく』では、フリースタイルエッセイを毎週お届け中。
テーマ:「地元」
愛媛県の済美高校出身です、とメディアで口にすることが多いし、愛媛の伊予観光大使を務めさせていただいていることから、なんだか愛媛県出身であると思われることが多いのだけれど、実は愛媛にいたのは高校時代の3年間しかなかったりする。
ただ高校時代の3年間は人生における青春期間と呼ばれるものであって、そこで過ごした日常というのは人生の中でも特に濃い時間を過ごしていたので、愛媛を第二の故郷と呼んでいるし、地元でもあるという認識もしている。
観光大使に加えて、愛媛柑橘部という柑橘類のPRをする組織にも関わらせてもらったり、愛媛という土地は学生時代から私を助けてくれていて、本当にありがたい存在である。
けれど、実は私の出身地は神奈川県の相模原市だったりする。
相模原市?どこだ?という者はここで覚えておくといい。
全国で20市ある政令指定都市の1つで、何より前田の育った土地である。
読者諸兄姉は聖地として祭ってもらっても構わない。
中学3年まで過ごしたその地が真の私の地元であって、その相模原の中でも虹のかかる街と呼ばれる相武台という土地が私という作物の育った場所である。
前田の実りの時期はいつになるのか分からないけれど。
相模原市は比較的広いので、栄えている場所もあれば、ど田舎と呼ぶような場所もあるのだけれど、私の育った場所は相模原市の相武台という場所で、数駅電車に乗れば東京に出れるので充分に栄えている場所だと言える。
ちょっと行けば東京ということは、もはや都民と言ってもいいだろう。
言い過ぎか。
まあ、都民とは言えないまでも、栄えていた街出身である私はシティーボーイであると言っていい。
町田を東京都内と呼んでも問題はあるまい。
せっかくこの業界に身を置くことになったのだから、なんとかお笑いの世界で結果を残して、いつか地元の星になれたら嬉しいなあと考えたりもする。
なんていったって全国的にも相武台という土地はまだまだ無名の土地。
地元の子供たちが「相武台って前田の出身地だべ」なんて言って誇ってくれたら芸人冥利に尽きる。
この何もない相武台という土地に、明るい光を灯そう!と身に余る目標を掲げたりしたのだけれど、実は前田という輝きを放っていない星屑が身の丈に合わないキラキラの一等星になるまでもなく、既に相武台には大きな一番星が輝いていた。
相武台の天下を取るものがいた
我らが相武台は、みんなご存知の大スター、NEWSの小山慶一郎さんの実家があるところなのだ。
天下のジャニーズが爆誕した爆心地だった。
相武台は既に有名人の出身地として挙げられる人物が存在していたのだ。
思い返してみれば、相武台にある小山さんの実家のラーメン屋さんには、年末年始になるとおそらくNEWSのファンであろう人が列をなして並んでいたし、小山さんのファンには聖地の1つとして相武台は崇められていた。
ほとんど何もないと思っていた地元には超絶スターの存在が既にあったのだ。
何を、お前如きが、相武台には何もないだなんて上から目線でものを言っていたのだ、と叱咤されて当然だけれど、きっとNEWSのファンの人たちは心の広い優しい人ばかりなので、そんなことはしないだろう。
優しくしてね。
名を連ねるなんて恐れ多いけれど、相武台の人たちに、私たちの地元と言ったら?という問いがあった場合、「NEWSの小山」という回答と、その後に大きな間を空けた後、「あと、ティモンディの前田もらしい」と思い出したかのように付け足してもらえれば、もう充分に満足だと思う。
まずは、ティモンディってコンビだったの?というところからの脱却を図るところから頑張ろうと思う。
ー完ー
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