僕のあまのじゃく#67

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:日没

2019年、コンビでスイスへ行った。

高岸がファウストボールという競技の日本代表になり、その世界大会がスイスであるということで、高岸は、その世界大会の出場のために、私は、それを観に行くと言いながら、スイスを旅行目的で満喫するために向かったのだ。

合計で一週間くらい滞在したのだけれど、一番驚いたのは、スイスの日中の長さ。

19時になっても明るく、いつまで経っても日は落ちない。

21時を過ぎるとようやくマジックアワーと呼ばれる、黄昏れるような風景が広がる。

22時を過ぎてようやく日が沈み、夜が訪れる。

日本の太陽に比べて、スイスの太陽は粘りが強い。
いや、きっと私の見た太陽は日本で見ていた太陽と同一人物であるはずなので、スイスにいる時の太陽は、日本にいる時よりも何倍も滞在しようという気概を感じた。

自然豊かで、建造物も歴史を感じられるものが多く、食事も美味しくて非の打ち所がないスイスだから、太陽もこの場所に少しでも長く留まりたいと思う気持ちも分からなくはないのだけれど、私には、この日没の時間が遅いことがキツかった。

夜は夜で時折、どこからともなくやってきて気がつけば背後から孤独感が襲ってきたり、悶々とした夜に耐えられなくなって唐突に散歩へ出かけることもあるのだけれど、日中が長いは長いで、堪える。

明るいうちは、なんだか気持ちも活発的になるのだけれど、逆を言えば、まだ明るいしここへ行こう、ついでにあそこへ訪れてみよう、といつまでも足を伸ばせてしまう。

まだまだ1日はこれからだぞ!と世界が今日という日の終わりを告げてくれないように感じて、結果として過活動になってしまうのだ。

スイス旅行を思い返せば楽しかった面はあるのだけれど、日没の遅さに精神的にのんびりとリラックスすることができなかった気がするのだ。

だって、21時にホテルに帰ってきても、まだ街灯もいらないくらい外明るいんだよ?
なんだかまだやり残したことがあるんじゃないか、って気持ちにもなるでしょう。

今までスイスに行くまでは、日没の時間帯になると、ああ、もう今日が終わってしまって、寝たらまた明日が始まってしまう、という気持ちになって、なんだか寝るのも癪な気持ちになっていた。

この夜の時間は、今日という日のアディショナルタイムで、せっかく自由に過ごせるのだから寝て終わらせるのは勿体無い。
ちょっとでも長く起きてよう、だなんて気持ちになっていたけれど、スイスの日中の長さを体験してみたら、結局、日本の日没の時間が、本当に丁度良いと思った。

日が沈んで、1日が終わったと終わってから、ゆっくりと夜を過ごせる時間がスイスと比較すると確保できるからだ。

毎日のように朝まで飲むぜ!という人らは、日中の活動に支障をきたしながらでも夜の飲みという活動に精を出すことを人生の主たる目的としているのだろうし、それはそれで良いと思うけれど、日中に活動をする人間からすれば、日没は1日のピリオド。

一回句読点を挟まないと文章も読みにくいように、我々に1日のメリハリをつけてくれているのだ。

スイスは夜のメリが短く、日中のハリがとても長いので、私はきっと疲れてしまったのだろう。

なんだか日没は切ない気持ちになっていたけれど、スイスに比べて太陽が早めに退場してくれるのは、長い夜でゆっくりしろよ、と我々に向けてメッセージを送ってくれているのかもしれない。

ー完ー

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