僕のあまのじゃく#78

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:バレンタイン

さて、いよいよバレンタイン。

読者諸兄姉は、意中の相手にチョコレートを渡すだろうか。
渡したとしても義理チョコを配ることが大半だろう。
いや、交際相手がいるような人は別か。
そんな人は百貨店で素敵なチョコレートを購入して、愛だの恋だの楽しいイベントによろしくやっててくれ。

ただ、それ以外の人達は、本命のチョコレートを最後に渡したのはいつだろうか。
本来のイベントの目的である、本命の相手へ好意を伝えるための手段としてチョコレートを渡そうという人がどんどん少なくなっているように思える。
ただチョコレートを配られるだけのイベントになってしまってはいないかい?

バレンタインは”恋人たちの日”である。
本来であるならば、恋人など縁遠い我々のような人間には、関係のない日なのだ。

大人になってもチョコレートを貰えるのは嬉しいことなのだけれど、
恋人たちの日に、恋人とは関係ないチョコレートの譲渡は、本来であれば意味がない。
ただの贈与行為であり、それ以上も以下も意味を持たない。

大人になってもらうチョコレートは基本的に義理チョコなので、幼少期の時のような胸高鳴る瞬間も皆無。
何も貰えないよりはいいのだけれど、一抹の寂しさはある。
なんのためのチョコレートなのだろうか。

もはや恋人たちの日ではなく、機会的に周辺の人間にチョコレートを贈与する日ではないだろうか。
米兵に「ギブミーチョコレート」とねだっていた戦後の子供達がよろしく、ギリギリの生活水準で生きているとでも思われているのだろうか。
バレンタインはイベントとして形骸化しつつある。

グレープカンパニーには、女性の事務さんやマネージャーも何人かいて、
バレンタインの日になると、チョコレートをくれたりする人がいる。
みんな1つずつどうぞ、と、男性陣にまとめてドンと買ってきました作戦を立ててくる人が多いので、ありがたくいつも頂戴している。
何の意味があるのだろうか、と思いながらも、渡されるのは分かりやすく義理チョコなので、こちら側の精神的にも気軽に貰えてありがたい。

けれど、難しいのが、リンツやゴディバのような、割とお金がかかっているようなチョコレートを貰った時だ。

1つ数百円では済まなさそうなチョコレートを貰うことがある。

普通に考えれば、1000円以上するチョコレートをわざわざ百貨店などに行って購入して、
紙袋に入れて手渡しされた時、ありがとうございます、とお礼を言うことがあるのだけれど、
バレンタインの本来の意味である”恋人たちの日”の意義に照らし合わせると、
これは単なるチョコレートの配布とは訳が違うぞ、と思う。

私だけだろうか。
高級チョコレートを丁寧に包装して渡す場合は、若干の”本命チョコレートか?”というメッセージが脳裏によぎる。
だって、そういう日なんだもの。

バレンタインの日に、収録やロケがあるような日だと、
その現場にいる女性スタッフの人が「今日バレンタインなんで」と言われて渡されるチョコレートがこの場合の多い。
自分用に買うには手が出せないような素敵なチョコレートなのだけれど、
今後も仕事お願いします、という意味なのだとしたら、
バレンタインにチョコレートという形式で渡すべきではない。

私のような人間は、好意があるのではないか、と勘繰ってしまう。
好意がある場合、それを分かった上で思わせぶりな態度をしてしまうのは、相手を傷つけることになってしまうし、
相手の気持ちには真摯に対応したい。

高級チョコレートの場合、この値段の物を周囲の何人にも簡単に渡せるものではないではないか。
日頃の感謝なら、勘違いをされないような日を選んで、勘違いされないような物を選ぶべきだ。

それを、あえて、渡してくるということは、そういうことでしょう。

冗談気味に「ありがとうございます、本命ですよね?」と聞くと、笑いながら「そうですよ」と、その女性スタッフは答えてきた。

あらあらあら。
そんな好意を抱いてもらうほど一緒に仕事をしたことないのにな。
と冷思うのだけれど、
冷静に考えれば、好意を抱くのに遅いも早いもないし、そのタイミングは人それぞれで、
そんなキッカケなどなかったとこちら側が断言するのも横暴な話だ。
申し訳ない、自分の視野で見えている世界が全てだと思い込み、相手の好意を無碍にしてしまうところだった。

けれど、これは、どうしたものか。
まずはお友達から?仕事で一緒に頑張りましょう、と距離を置く?
私が次の対応の一手を考えていると、その流れのまま、高岸の方に女性スタッフは足を運んでいった。

「よろしければ、どうぞ」

彼女の手には、私と全く同じチョコレートが入った、全く同じ袋を、高岸にも渡していた。

そこで、ようやく気づく。

ああ、この子は、バレンタインの日は、告白をする機会も兼ねているということを知っていながら、
あえて義理かどうかも分からない、高級なチョコレートを複数人に渡すことができる人間なのか、と。

普通、高級チョコレートも義理でしょ、という人間には、
本来バレンタインは”恋人たちの日”で、チョコレートを渡して愛を伝える意味があるという日なのだということを念を押して言いたい。

古代ローマのヴァレンティヌス司祭が、婚姻を禁じたことに反抗して殺された日なので、それを皆で祝祭する意味もある日だというのに、
なんという暴虐武人な振る舞いなのだろうか。

君にはガッカリしたよ、とそう心の中でつぶやく。

そこで、あれ?なんでヴァレンティヌスの祭日なのにチョコレートを渡すのか?と疑問に思って、
「バレンタイン チョコレート 渡す意味」とネットで調べてみる。

すると、チョコレートを渡すのはメッセージが込められていて、
「あなたと同じ気持ち」という意味があり、それを相手に伝えるためにチョコレートを贈るらしい。

あなたと同じ気持ち、か。

君にはガッカリしたという私の気持ちは、
チョコレートを渡したのに、そんな風に思われるだなんて、私の方こそガッカリで同じ気持ちだよ、と言われたような気がした。

あまりイベントの意味だとか、言葉の定義だとか、
そんな深いこと考えずに、ノリで楽しく生きられたらいかに楽しいか、バレンタインは毎年そう考えさせられる日である。

ー完ー

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