僕のあまのじゃく#85

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:居場所

誰かと一緒に仕事をしたり、生活をしたり、社会で生きていれば他人と関わりを持たずして生きることはほぼ不可能だ。
「私、一人で生きていけるタイプだから」だなんて自立を履き違えている輩をたまに見かけるけれど、勘違いも甚だしい。
そういうことを平然と言える人間は、本当に一人で生きた経験というのがないのだろう。
自身を過大評価している舐めた輩には「では誰の手も借りることなく、一人の力だけで自給自足の自家発電で生きてみよ」と叱咤しなければいけない。
如何なる人間であれ、常に誰かしらの力を借りて生活をしていることを忘れてはならないのだ。

つまり、私たちは孤独のように感じることもあるけれど、常に他人の存在が近くにあることを忘れてはならない。

パートナーや懇ろな関係の相手がいたとて、その有無で自身を一人か否か、判断するには短絡すぎる。
目に見えないから分かりにくいだけで、一人暮らしをしていても、生きとし生ける人間は往々にして多くの人間に支えられて日々を生きているのだ。

私は物理的に一人の時間が多い生活を送っているけれど、一人で生きていけているとは思ったことはない。
食器1つとっても自分では作れないくらい素敵なお皿を手に入れることが出来るけれど、これも本来一人であれば手に入れることの出来ないもの。
そのお皿を愛おしく眺めていると、焼いた職人さんの顔まで透けて見えることがある。
あまりにも鮮明に職人さんの顔が奥に透けて見えるものだから「これはもしかしたらそういう霊視的な能力が私に備わっているのでは」と思って、生産者をネットを使って調べて答え合わせをしてみると、どうやら工場で機械が大量生産しているものだったので、単なる幻覚だったということが分かった。
ただ、その機械も、人間がプログラムしたり組み立てたり手を加えなければ完成しなかった訳で、きっと私が見た職人さんの顔は、きっと機械を作った職人さんだったのかもしれない。

兎にも角にも、私たちは目に見えなかったり実感できなかったりするだけで、沢山の人と関わって生活をしているのだ。
そう言っても尚、孤独を感じることがあるだろう。
私も夜な夜な家にいると閉塞感にうなされる事がある。
そんな経験をした事があるのは、きっと私だけではないだろう。
そんな人はサードプレイスという居場所を作るといい。

サードプレイスとは、私が塾の講師のアルバイトをしていた頃、建築学を大学で学んでいる同期の講師が教えてくれた概念である。
アメリカの社会学者オルデンバーグが提唱したもので、ストレスを軽減させるには、自宅と職場以外に、もう1つ。
3つ目の居場所を作ることが効果的である、というものだ。

このサードプレイスは、自宅と職場以外の場所であればどこでも良い訳ではない。

・誰でも自由で平等に利用できる場所であること
・気軽に訪れやすい場所であること
・新しく訪れた人も迎え入れられる場所であること(排他的な場所ではないということ)
・居心地の良い場所

など条件があって、それを満たすものをサードプレイスと呼べるのだそう。
そして、カフェや、ジムや、食堂などがこれに当たりやすい場所なのだという。

私は専らカフェや公園をサードプレイスにして時間を過ごしている。
人間、オン(職場)とオフ(自宅)で生活はできるけれど、リラックスできる居場所というものがあると、より生活が豊かでハリが出るのだ。
私は自宅でも仕事をしがちなので、オンとオフがより少ない環境だったのだろう。
だからお皿を見るだけで職人のおじさんが透けて見えたのかもしれない。
あのおじさんは、心の黄色信号だったのだろうか。

読者諸兄姉も、何かを見つめていたら生産者のおじさんが透けて見えた時は心の黄色信号だと思って、サードプレイスでリラックスした時間を作ることをオススメする。

ー完ー

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