僕のあまのじゃく#89

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:筋トレ

私は幼少期から怪力モンスターだった。

幼稚園の頃から母親をおんぶして周囲を引かせていたのを覚えている。
あ、力があると評価してもらえるんだ、と短絡的な思考がここら辺から育ってしまったのかもしれない。
毎日のように友人を迎えにくる親族達を驚かせるために母親をおんぶしていた。
大人達が驚いた顔をしているのを子供ながら誇れるものだと認識していたのだろう。

小学校の低学年になると、自分の肩の強さに気づく。
体力測定の遠投での記録がすこぶる良くて、鍛錬を積んでいないのに秀でている自分の特徴を自認して誇っていたのだ。
物を投げると他人よりも遠くへ投擲できることが分かった私は友達数人を校庭に集めて、何を思ったのか手元にあった鉛筆を投げたことがあった。
力がある者は無計画にその力を行使してはいけない。
年齢に比例しない力で投げた鉛筆は私の想像以上に遠くへ飛んでいき、あろうことか放物線を描いた先にいた同じクラスの女子の頭に当たってしまったのだ。
頭の皮膚って切れると結構な量の血が出るんだね。
その子の顔はあっという間に流れてくる血で真っ赤になってしまった。
誰かに許して欲しくて「こんなつもりではなかった」と口にしていたのを覚えている。
それで責任が少しでも軽くなると思っていたのかもしれない。
自分の始めた物語だというのに碌でもない子供だ。
自分の行動が如何なる結果を生むのかを考えていなかった私は狼狽しながら保健室に血だらけになったその子を泣きながら連れて行ったのだった。
幸いにもその子の頭には傷跡も残らず止血ですぐに血も止まったのだけれど、私と私の母親で怪我をさせてしまった子とその子の親の家へ謝罪しに行くことになった。
当然ながらその帰り道にこっ酷く怒られた。
お前は誰かを傷つけてしまう可能性が著しく高い怪物なのだ、力を行使する先を誤るな、と強く言われたものだった。

高校生になると、筋トレをしたことがなかったのにZETTというスポーツメーカーが行う身体能力テストで1年生の頃から全国で1位になってしまった。
そこから筋トレを続けて2年生になっても1位の座は譲らなかったのだけれど、そこから身体が大きくなりすぎて、熱中していた野球に悪影響が生じるようになってしまった。
筋トレをしすぎると、筋肉が肥大しすぎて関節の可動域が狭くなるのだ。

そこら辺から気づく。

ああ、どんなものも過ぎるのは良くないなあ、と。

力があるからと調子に乗って更に力をつけるために必死になって筋トレをしていたけれど、過ぎたるは及ばざるが如し。
筋トレをすればその分、身体は大きくなるけれど、その分失うものもある。

私は一人の人間に与えるには有り余る筋力を持ってしまったが故にスポーツ以外で思い切って身体を使って遊ぶことを制限されたし、加えて自ら筋トレをしたことによって、関節の可動域が狭くなり、結果として野球のプレーに悪影響を与えることになった。

きっとこれは何にも言えることなのだろう。

他人への影響力も、あまりに大きすぎると発言に責任が伴うので気軽に冗談も言えなくなってしまうし、口にできる話題にも制限がかかってしまう。

会社での地位が上になればなるほど、仕事での愚痴がそのまま会社の意思に影響しかねないので、一個人の感情で愚痴すら言いにくくなってしまう。

何かを得ると、その代償を支払わなければならないのは世の常だけれど、努力とのものがその対価とはなり得ないのは念頭に置いていなかった。
筋トレをすれば、その努力と引き換えに筋力を手に入れることができると思っていたけれど、引き換えに必要だったのは可動域の範囲だったし、それによる野球のパフォーマンスの低下だった。
世の中は、努力をすれば、願いが叶うという単純な仕組みで出来ている訳ではないのは分かっている。
けれど、もし努力をした先に願いが叶ったとしても、そこには失うものがあることを念頭に置かなければならない。

私はというと、ここでのコラムは普段の仕事の息抜きの場でもあり、読者諸兄姉に気兼ねなく駄文をぶつけることができる貴重で大切な場なので、ここで表現を気にしなければならないような影響力を持たないようにはしたいと思う。
気にしなくとも前田がそこまで影響力を持つことはないって?
やかましいわ。

ー完ー

ティモンディ前田裕太「僕は友達が少ない」【僕のあまのじゃく#88】

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