僕のあまのじゃく#96

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:もしも

後悔ばかりの人生だ。

信じた自分の才能も、数多の天才の中で埋没してしまい見る影もない。
あんなに輝いていた私の才能も、宝の山に放り込まれたら鉄屑も同然の輝きしか放っていなかったことが分かってしまったのだ。
こういう力があれば、ああいう魅力があれば、と背伸びをして努力をしたこともあったし、無いものねだりをして不貞腐れている時もあった。
けれど、人間不貞腐れているばかりではいけないと思い、ならばせめて鉄屑の自分でも輝ける場所はないか、と努力したのだけれど、それはそれで何も実ってこなかった。
そんなことはないよ、と言ってくれる人もいる。
ありがたい。
けれど、普段仕事をしていると、自分の光が如何に鈍いか痛感させられるような人間が多くいるのだ。
芸能界にいると、王道をストレートに寸分狂わずに歩き、成功している人たちを多く見かける。
正真正銘、才能の原石から研磨されてピカピカに光った宝石。
街で歩いていたらスカウトされて、そのままスター街道まっしぐら。
それはそれで大変だし、私には理解もできない苦労があるのだと思う。
けれど鮮明に、高い光度を持って光っている彼ら、彼女らの魅力というのは、人を惹きつける引力があるのだ。
そんな人間たちと共演する機会が、非常に多い。
だから、私はその恒星たちの引力に憧れていたのだ。
いつか研磨し続ければ、私のような鉄屑でも宝石と違わない光を放つことができるとも思っていたし、引力も備わるものだと思っていた。

けれど、そうではなかった。
適正のないものをいくら努力をしたところで、この芸能界というモンスターの巣窟では、上には上がいる。
努力を重ねたところで、結局のところは抜けた才能が各所に点在しているのだ。
だから、向いていないことを無理してやったところで、業界にはいくらでも上が存在する訳なんですよ。
必死こいて合っていない努力をしたところで、手元には無理したストレスと、然程人の目を集めるほどではない中途半端なスキルしか残らない。

あの恒星たちのようになれたら、と思う。
では、もしも今までの全てが成功していたら、どういう人間になっていただろうか。

努力が全て実を結び、自他ともに認められる魅力を身につけることができた人間になれたとしたら、という自分が望んでいたものを手にした場合を考えてみる。
もしも春夏甲子園を連覇して、そのままドラフト一位のプロ野球選手になり、国民的スターになったとしたら。
野球で挫折をしたとして、在学中に弁護士資格を取得して、そのまま大手法律事務所に所属し、自分の事務所を構えていたら。
弁護士にはならず、芸人になったとして、1年目からM1で決勝に進出して結果を残し、テレビでも引っ張りだこの芸人になったとしたら。

おそらく傲慢で他人に気持ちを推し測れない、失敗している人間の気持ちなど理解もできない人になっていただろう。
結果が出ないのであれば努力をすればいいではないか。
実らないのは、本人が努力しないのが悪い。
と、一方的な成功者からの視点で物事を判断することしかできなかっただろう。

失敗を多く経験しているからこそ、失敗した人間の気持ちが分かるし、
弱っている人間の気持ちも理解できるようになった。
失敗ばかりの人生でよかった。
後悔ばかりの人生でよかった。
精神的に恵まれていないからこそ、同じような人たちの気持ちが理解できるし、寄り添うこともできる。
一方的に断定される辛さが分かるからこそ、理解をしようという気持ちになることできる。
そう考えると、今の私を形成しているのは、紛れもなく失敗と後悔なのだ。

宝石のように輝けない鉄屑の私が、何故宝箱の芸能界で仕事をしているのか。

全ては、鉄屑の私でも頑張れているのだから、失敗をしたって大丈夫だ、それが魅力になるのだ、と、今までの私たちに、私のような人たちに向けて発信したいからなのだろうと自分のことながら客観的に、そう思う。

後悔ばかりで、投げ出したくなっている私。
今日もその失敗を糧に、びしょ濡れになったり辛いものを食べたり頑張って仕事をしてくるよ。

ー完ー

ティモンディ前田裕太「芸歴10年、我々は中堅芸人…なのか?」【僕のあまのじゃく#95】

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