僕のあまのじゃく#97

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:選択

彼女が「もう知らない」と言葉を残して家から出ていった時に、如何なる選択をすべきだろうか。

昔の話になるのだけれど、当時付き合っていた彼女と同棲していた頃、些細なことで口論になった。
同棲なんて、育ってきた環境が違う人間が一つ屋根の下で暮らすのだから、理解し合えるまでは衝突など仕方ない。
けれど、当事者たちからしたら口論なんてものは毎回大ごとだ。
大したことない会話の中でも、彼女の口から出てきた言葉の定義が気になり、その単語を如何なる意味で使っているのかを相手に聞いたりしていると、話の本筋が進まずに相手を苛つかせてしまった。
ごちゃごちゃとうるさい男なのだ。
その結果、当時の彼女は面倒な人間性に嫌気が差し、勢いで出て行ってしまったのだ。
さあ大変。

その瞬間、家に残された私に与えられた選択肢は二択。
A、あとを追いかける。
B、家の中にいる。

愚問なのかもしれない。
こういう場合は大抵Aを選択すべきなのだろう。

けれど、パートナーが追いかけてくる前提で家を飛び出した相手を、追いかける行為が果たして正解なのだろうか。
追いかけて、追いついて「ごめん、俺が悪かった、戻ってきてくれ」だなんてテンプレートを言ったとしよう。
それで円満解決、仲良しこよしに戻ったとしても、議論によらない意思決定ではない選択は根本的解決にはならない。
仕方なく強要される形で為された決定は、その場しのぎにしか過ぎないのだ。
だから、その場しのぎで、目の前の空気感だけ良くするためにAを選択するべきなのか、悩んだ。

Bを選択することで、俺は話し合いの解決しか受け付けないぞ、という強い意志表明をすることだってできるはずだ。
なんなら、長期的に交友関係を結んでいくためには、家から出る、という解決手段を選択させないような選択をこちらもしなければならない。
話し合いによる解決しか、人と人は理解し合えないのだから。

結局、部屋の中心で腕を組み、彼女の帰りを腰を据えて待つ、だなんてことは私にはできなかった。
座して死を待つ度胸なんて情けないことになかったのだ。
目の前の問題を解決するので精一杯。
Aの選択をして、なんとか彼女を家の周囲から探し出し、その場で謝罪をして、家に戻ってもらうことにした。
こうなってしまった経緯にあまり反省もしていないまま「ごめんねえ」と謝っている自分が情けないのなんの。
一応、帰ってから話し合いはしたものの、その繰り返しの中でお互いが相手と自分が対等だと思えなくなってしまい、別れるに至るまで時間を要しなかったのは言うまでもない。

あの時、Bを選択し続ければ、こうはなっていなかったのか?
俺は揺るがないぞ、という姿勢と見せていたとしてら?

いや、違う。

そもそも、選択肢が目の前にある時点で、もう破綻していたのだ。

人間の行動は自由意志によるものであって、誰かから何かを言われたからするべきではない。
もしも、他人からの要望によってのみで行動を選択している人がいるのであれば、そこに幸せは待っていない。傷つくだけだ。というのは理解しておかねばならない。
あくまでも自分自身が、そうしたい、と思えるような行動なのかが重要なのだ。
与えられた選択肢の中に、心からそう思える選択なんてそうそうないでしょう。
今回の件に限らず、己の行動は、目の前に選択肢があるから、選んでいるだけなのではないか、考えなければならない。
選択肢を与えられるということは、自由意志を奪われるということ。
AかBかを迫られている時点で、私の心は既にどちらを選んだとしても、ダメだったのだろう。
そもそも家を出て行かせるような要因について、私が直すのか相手が我慢するのか、衝突する前に話し合わなければならなかった。

人間、与えられた選択に迫られる前に、自分からやりたいことを積極的に行うべきなのだ。
もちろん、与えられた選択肢の中に心から望むものがあるのであれば、それ以上楽なことはないのだけれど。

次の恋愛をする機会があったら、肝に銘じたいと思う。

ー完ー

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