僕のあまのじゃく#102

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:秋

起きると秋の匂いがした。
ベランダに出ると湿度をまとった熱気は姿を消して、乾いた風が肌を撫でる。
マンションのベランダで秋を感じていると心地よく、思いの外ぼーっとしていまい気づいたら10分ほど経っていた。
その10分ゆっくりした分、仕事の入り時間に遅れてしまったから、快適すぎるのも問題だと思った。

みんな秋のこと好きでしょう。
「私、秋って嫌いなんだよねえ」だなんて口にしていた人を見たことはないし。

けれど、私はあまり秋が好きではなかった。
別に逆張りをしている訳ではない。
高校時代に遡れば、夏の甲子園に行けなかった絶望の3年生を思い出すからだ。
テレビをつければ、自分がどうしても行きたかった甲子園という舞台に同じ世代の球児達が青い夏に身を燃やしているところを目にすることが耐えられなかった。
だから、現実から目を背けるように高校3年生の頃の秋は本を読み漁り、DVDを借りて映画を見続けた。
正気ではいられなかったのだ。
少し肌寒くなり出すと、当時の塞ぎ込みたくなる感情の残火の香りが立ち始めて胸が苦しくなる。
本と映画が当時の私を辛い現実から逃げ出させてくれたのだ。
秋は逃避の季節だ。

大学に入ってからは、ずっと勉強をしていた。
そのまま弁護士になろうと司法試験の勉強を年中していたので、正直なところ一年のうち季節を感じる期間というのはあまりなかった。
基本的には大学の講義を受け、大学内の図書室で自主勉強をする毎日。
受講していない科目の講義も興味があれば顔を出したりしていた。
野球という空いた穴を勉強で埋めようとしていたのかもしれない。
だから、秋に対する思い出は得にない。
ただ、大学時代に秋を感じる瞬間もあった。
バイトで塾の講師をしていたのだけれど、生徒の学生達が、秋を満喫している話を聞くのだ。
子供達から秋を感じる話を聞くたびに高校時代の記憶が香ってきたから、おそらく子供達に不自然な笑顔を浮かべていただろう。
「先生、文化祭があってさ」だなんて話を聞いても、高校時代の文化祭の日は、部活の練習で参加できなかったし、そういう思い出が呼び起されてしまった。

それだけ心の傷というものは治るのに時間がかかるのだろう。

芸人になってからの秋は、これはこれで辛い。

今年ももう終わる、と意識しはじめるのが秋頃でしょう。
ああ、今年も結果を残すことができずに終わった、と何度思ったことだろうか。

秋の高円寺は、無力な自分を喚起させるには十分な哀愁があった。
同級生たちは収入も安定いていて、家庭を持っている友人も多くなっていった。
そんな話を聞くたびに「私には今年も特筆して何も起きなかった」と秋くらいから感じ始めるのだ。
何も成し遂げられていない自分が悪いのだけれど、基本的には無力感を感じやすい季節だった。
ノートに未来の展望を殴り書き、計画を立てては変わらない環境に溜息の日々。
秋になると、カップ麺を10分放置して量を極限まで増やした伸びきった麺を食べていて「この食生活がいつまで続くのか」と思ったものだった。
「いつまで続くんだ」って部屋で一人叫んだこともあった。

それを考えると、だいぶ秋に対しての悪いイメージがなくなってきた。
ありがたいことに仕事が増えて、やることができたからだろうか。
気持ちよく秋を過ごせるようになってきた。
人間、トラウマのようなものを克服するのは、時間の経過と多忙にあるのかもしれない。
忙しいと目の前のことを乗り越えるので精いっぱいになって、トラウマを思い出す余裕もなくなるのだ。
他のもので埋める、という事実が、心の傷というものを誤魔化してくれるのかもしれない。

今後、トラウマができるようなことがあった時は、仕事を忙しくしていきたいと思う。

ー完ー

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