思わずきゅんとしてしまう妄想ツイートが大人気!
今話題のライター・編集者のカツセマサヒコさんに雌ガールのための恋愛小説を書いてもらいました。
第二回目は社会人になって間もなく経験した、中毒性のある苦い恋。
切なさと苦しさが止まらないカツセワールドをご堪能あれ!
[前編]はコチラ
18で経験した初恋は、大学に入ってすぐのタイミングであっけなく終わった。
それからも何人かと付き合ったが、あのとき以上に盲目になれるような展開はなく、別れてはまた別の恋を探しているうちに、4年間が過ぎていた。どうしても前の恋が忘れられなかったのもあったが、若さを武器にフットワーク軽く生きること自体に、魅力を覚えていた時期でもあった。
そして、二度目の恋は、23歳にして訪れた。
社会人2年目にしてわたしは、ただただ苦く、薬物のように中毒性がある男と出会った。
その恋のことを、27になった今でもたまに思い出しては、「あの男より幸せになろう」と改めて決意することがある。
◆◆◆
23歳の秋。仲西圭太の家にいた。
まだ室内は暗い。それでも、隣に彼の姿がないことには、すぐに気が付く。彼と同じ空間にいると心は華やぎ、平穏を取り戻すが、離れた途端、巨大な虚無感に襲われてしまうことは、付き合ってすぐの時点でわかったことだった。
「彼には別の彼女がいて、わたしはあくまでも、本命ではない」
この事実が、決定的な敗北感を連れてくる。彼から連絡が来ない間は、過去のLINEや写真を見返して、虚しさを飲み込むのだった。
「あれ、起きた?」
脱衣所から、まだ髪が濡れた、上半身裸の男が出てくる。
芯は細いが、極めて男性的な骨格。広い肩と、うっすらと筋肉が覗くシルエットは、彫刻のようで何度見ても心がときめく。
「ああ、ケイタだ」数時間前までこの理想的な身体に抱かれていたかと思うと、それだけでむず痒く、安心感と多幸感が押し寄せた。
31歳。代々木上原の1LDKでひとり暮らしをしている仲西圭太は、独身を謳歌していた。大手広告代理店勤務であるものの、その業界特有のオーラは一切感じさせず、無造作な黒髪と白いシャツが良く似合う、読書と愛車のミニクーパーが好きな、無口で器用な男だった。
恋人がいることを微塵も感じさせない生活感のなさと、ベッドの上で抱き合うたび「時間、止まってほしい」と小さく呟くその言動は、わたしを「彼の一番になりたい」と思わせるには十分な動機となった。
この日も、まだ夜が明ける前から、彼はミニクーパーに寝惚けたわたしを乗せた。夜露に濡れたフロントガラスをワイパーで拭うと、車は静かに動き出す。
「どこに行くの?」
「朝食を食べに」
いつも最低限の会話だけだった。それでも居心地が良く、心躍っていたのは、つないだ指先でコミュニケーションが取れていたからか、ただ彼を独占できているその時間が嬉しくてたまらなかったからかもしれない。普段は話しすぎと言われるほどお喋りなわたしでも、彼の横では静かにしていられた。
日が昇り、道も徐々に混雑し始めたころ、車は七里ヶ浜に着く。
“世界一の朝食が食べられる店”として名高い「BILLS」に来たのは、一度や二度ではなかった。「仲西です。あ、『中』じゃなくて、『仲良し』の『仲』です」
店員に名前を聞かれるたび、この説明をする彼が、どこか可愛らしく映る。前に付き合った男も、年上だったくせにどこか子どもっぽい一面を持っていたことを思い出した。別のタイプの人間を好きになったつもりでも、些細なポイントで影が重なるものだと自分で感心した。
◆◆◆
「え、ケイタ、お会計は?」
ゆっくりと朝食の時間を終え、トイレから戻ってくると、彼はすでに店の外に立っていた。
「んー、もう、済ませた」
彼は、こちらが気を抜くと「ありがとう」を言うタイミングすら逃させるほど、自然なエスコートを得意とする人間だった。
扉を開けて待つ姿も、
エスカレーターで後ろに立つ姿も、
行く先々で時間ぴったりなお店の予約も、すべてさりげなく、嫌味なく、完璧にこなす人だった。
男らしさと大人の余裕。それぞれを少しずつ兼ね揃えた『仲良し』の仲西圭太は、当時のわたしにとってまさに理想の男性と言える人だった。
雲行きがあやしくなっていったのは、クリスマスも終わり、年が変わることに街が浮き足立ち始めたころだった。
「ねえ、まだあの人と続いてるんだっけ」
「ああ……、うん、続いてる」
上司がいなければ自然と雑談が生まれる職場で、隣の課の同僚と、ケイタの話になった。
「彼女持ちなんだよねー? 先、見えなくない?」
常にわたしを心配してくれる、東京でのお姉さん的存在となった同僚の言葉を、わたしはあまり気にとめていなかった。一緒にいればとにかく幸せで、魅力的なデートに連れ出してくれて、体の相性も最高だったケイタに、薬物のように依存性が強まっていた。そして、そのぶん不安要素は、脳内から抹消するように本能が働いていた。
もちろん、これまでも何度か、遠回しにでも、彼女と別れるのか聞いたことはあった。しかし、そのたび彼は「そのうちね」と曖昧な返事をして話を終わらせた。わたしも盲目になっていたのだろう。ひたすらこの言葉を信じて、「いつかは一番になれる」と言い聞かせるしかなく、徐々にその質問もしないようになっていたのだった。
「きっと、わたしのほうが相性いい自信があるんだよね」
「なんでまた。アンタ、いっつも根拠ない自信持ってるね」
「だって、彼も、彼女という存在がありながら、わたしといる時間を優先してるわけでしょ?」
「優先してくれてるって、なんでわかるの?」
「え。だって、イブに一緒にいたんだよ? 間違いなくない?」
12月24日は、リッツカールトンに入っているレストランで、フルコースを食べた。その後、スウィートルームでシャンパンを飲みながら、今も付けているネックレスをもらった。ここまでしておいて、わたしよりも彼女を大切にしているとは、その当時は到底思えなかった。
「イブはあくまでもイブ。クリスマス当日を過ごしたのは、本命の彼女だったかもしれないよ」
わたしは同僚の言葉を右から左へ受け流して、仕事に戻った。
「大切にしよっと」
インスタグラムにその投稿を見つけたのは、同僚から忠告を受けた翌々日だった。投稿日、12月25日23時48分。ケイタと何度も夜を明かしたあの代々木上原のベッドを背景に、わざとらしい角度で置かれた指輪と、整った顔立ちではあるが、決してモテそうには思えない女性の笑顔が写っていた。
ケイタの彼女のSNSを見ることは、今に始まったことではなかった。
彼女がSNSをやっていることは昔から知っていたし、彼から連絡がなく不安が募るたび、やめておけばいいとわかっていながらも、彼女のアカウントをチェックするわたしがいた。
でも、彼女は普段、彼氏がいることを一切匂わせない人だった。どの写真を見てもケイタの影は見えず、もしかしたら違うアカウントかもしれないと思うこともしばしばあるほどだった。
なぜ彼女がこれまで、こんな素晴らしい彼氏を持ちながらSNSに一切自慢しなかったのかはわからない。ただ、この日だけは、彼女にとっても特別だったに違いない。背景に写るケイタの部屋と、わたしがもらったネックレスよりはるかに輝いていた指輪と、「大切にしよっと」の一言で、わたしの生涯二度目の恋に、ヒビが入ったのだった。
◆◆◆
「すごい美人かと思ったら、普通の人じゃん。わたしのほうが若いし、細いし、ぶっちゃけ私の方が可愛いじゃん。どうして? どうしてこの人のほうが、わたしより大切にされているの? なんで? ケイタは、わたしに何を求めていたの?」
その言葉を、飲みこみたかった。
わたしたちは、本当に理想的なカップルだと思っていた。性格も、食の好みも、好きな作家も、身長差も、すべて相性が良かったはずだ。だから、これまでどおり、一緒にいる時間を楽しみ、離れた時間をどうにかやり過ごしていけば、きっとこの関係はもっと長く続けられる。そう頭ではわかっていた。
でも、気持ちはもう、その一枚の写真を見た瞬間から、離れてしまった。まるで強風で飛ばされた麦わら帽子のように、手を伸ばそうにも届かない距離まで、一瞬で飛んでいってしまった。
そして、落ち込み、腹が立った。「その若さと、細さと、可愛さを、適度に摂取したかっただけだよ」と、いつもの穏やかなトーンで返すケイタの姿が浮かんでしまったのだった。
怒りと共に負けを認めた瞬間、これまで見ないフリをしていた自分の中の不安と不満が、一気にわたしの中を駆け抜けた。「もう、終わりにしよう」。どれだけ引き止めてこようとも、彼のすべてを独り占めすることは、今後も絶対に起きないことを、わたしは悟ってしまったのだった。
「晶、あの人の話、最近しないね?」
年が明けて1カ月が経つころ、東京の姉である同僚はわたしに尋ねた。
「え? とっくに別れたよ。とっくとっく」
カラ元気ではなかった。彼と別れて1カ月。うれしいことがあったときや、落ち込んだときにはついあの笑顔が浮かび、連絡を取りたくなったが、そのたびあのインスタグラムの映像が頭をよぎり、中毒性は徐々に和らいでいった。傷はまだ癒えきらないものの、自然と笑顔でいられるぐらいには、回復してきていたのだった。
「なんで? まさかフラれた? 彼女と結婚するとか言われて?」
同僚が記者会見のごとく質問を投げかけてくる。わたしはそれらを半分以上無視して、できるだけ余裕そうな笑顔を作って言った。
「あんなヤツと一緒にいたら、わたしが勿体ないじゃん。もっと幸せにしてくれる人と付き合って、その人を、アイツより幸せにするって決めたんだ」
それが、23歳のわたしが決めた、自分へのひとつの約束だった。
【後編へ続く】
Text/カツセマサヒコ
下北沢のライター・編集者
Twitter: @katsuse_m