誕生日を祝うためのLINEだということを忘れるな

富島さん。誕生日ってなんでお祝いするのでしょうか?

え? そう言われると難しいですね……。

色々な考え方はあると思いますが、別に「〇〇だから!」という明確な理由なんてなくても良いと思います。

ただ私の感覚としては「生まれてくれて有難う」という気持ちより「〇〇歳まで生きてきた」ということを祝いたいという感覚が強いですね。

と言いますと?

今日でこそ、生まれてからすぐに死んでしまう子どもの割合は日本であれば1000人に2、3人ですが、ほんのちょっと前、例えば江戸時代などは生まれた子どものほとんどが死んでいました。

よく歴史上の人物で「兄がみんな死んだので、末弟だった〇〇が繰り上げで家督を継いだ」みたいな話がありますよね。

なんか習ったことがあるような・・・

当時の感覚で言えば、兄弟が死ぬなんていうのは日常茶飯事であり、そういう意味では「兄が死んだ」のが幸運だったのではなく、「自分が死ななかった」のが幸運なのです。

例えば藤原道長(五男)とかが有名ですね。
あと個人的には源頼朝が三男というのが意外で好きです。頼朝(三男)と義経(九男)って結構離れているんですよ。

残りの7人はどこに?

斬首、戦死、頼朝、早世、戦死、島流し、殺害、戦死、義経

普通に死んでる人がいない・・・

しかも、殺してる犯人は半分くらい頼朝ですからね。

とは言え、この話で最も異常なのは「子供27人のうち、26人が成人前に死ぬ」という徳川家慶だと思いますけどね・・・。

ともかく、昔は子どもがすぐに死んだのです。
ですので子どもが歳をとるごとに「ああ死なずに成長してくれた」とお祝いをしていたのでしょう。
当時は数え年だったので、誕生日という概念はありませんでしたが、成長に感謝をするという意味では「七五三」なんかが誕生日に近い感覚だったのだと思います。

とはいえ、現代も昔よりは確率が下がったとは言え、「不運」という理不尽な理由で人は簡単に死にます。しかし、幸運にも私も富島さんも、今こうして生きている。それは「死なずに成長した」ということに他なりません。今だって富島さんが25年生き抜いたことを祝うべきなのですが、毎日やっていたらキリがないので誕生日に統一した。

私はそんな感覚ですね。誕生日。

そう言えば上野さんの誕生日っていt

よって理由はどうあれ誕生日の主役が本人であることは間違いないでしょう。少なくとも、その辺にいるただの男友達が主役で無いのは間違いありません。

そう考えたら誕生日に「突然デートに誘う」という発想にはならないのではないか、と思うんですよ。

??? 今回のテーマ全否定じゃないですか。

いえ、誕生日のLINEをきっかけに、日頃からLINEをする関係になるのはまったく問題ないと思うのです。

ただ「おめでとう」と言った舌の根も乾かぬうちに「デートしよ」と言っていては、最初の「おめでとう」が「デートをするために言ったもの」にしか思えなくなってしまうのです。

ですので、必ず段階を踏みましょう。

段階?

はい、あくまでも誕生日は「お祝いしたいから」LINEをしているのです。ですので、その場ではちゃんとお祝いをする。

だいたい普段は全然連絡を取り合わないのに、誕生日に1通「おめでとう!」と送るだけでデートに誘えるという発想がどうかと思います。

確かに!

借金する人だって、急に「お金かして」とは言わずに、ちゃんと色々と筋を通してから自分の要求を伝えるじゃないですか。良いか悪いかは別にして。

それは例えとして合っているんですか……?