ティモンディ前田裕太が今週も皆さんの乙女心を受け止める時間がやってまいりました。
お仕事、学校などなど、日々にお疲れ気味の女子たちの心を癒す連載
今宵は皆さんの質問に前田さんが答えてくれちゃうスペシャル〜!
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arさんでコラムを連載させていただき早一年が無事経過したものの、ここまで継続して来れたのは偏屈な自分に付き合ってくれた読者諸姉と締め切り日を一行に守らないのに聖母の優しさで尻拭いをしてくれる編集者様のおかげ。
今後も読者と編集者におんぶに抱っこスタイルで駄文を垂れ流したいと思う。
そして、1年経過した記念ではないけれど、今回はarさんのinstagramにて、諸姉に直接コラムでとりあげる悩みの公募を試みた。
結果、たいそうな量の悩みが来たようで。
悩める仔羊達よ、群れをなして攻撃性を孕んでいる野獣の群れと化している輩もいるようだけれど、大丈夫、貴様らには私がついている。
ここにいる誰一人として欠けることなく人間社会の輪に戻れるよう、諸姉の悩みに寄り添っていく所存である。
では、早速いただいた悩みを皆で見ていこう。
Q1 好きな人のSNSが気になってついついチェックしてしまいます。
オシドリは仲良し夫婦の代名詞として使われる鳥類ではあるものの、メスと交尾を終えたオスはあっさり巣を出て行ってしまって、また他のメスと番いになる。
メスはメスで、より綺麗で、より多くのオスと優秀な遺伝子を残そうとする。
それでも尚、仲良しの代名詞としてオシドリ夫婦という言葉があると考えると、人間は好きな人に対して執着しすぎている節はある。
愛の形は人それぞれだからどんな形であれ否定はしないけれど、もしそのSNSをチェックして御令嬢が辛い思いをしたりするのであれば、一度、オシドリくらいラフな気持ちで色々なオスのオシドリに目を向けてみたら如何だろうか。
より綺麗なオスなんて鳥貴族でタレにつけて焼くほどいるから。
とは言いながらも、私もふと思い出したように気になってチェックしてしまう時もあるのだけれど。
Q2 恋人はいらないのに、肯定してくれる異性が欲しいと思っちゃいます。
肘やくるぶしは、どんなに強くつねっても痛くない。
友達なら気兼ねなく話ができても、恋人相手だと同じ内容の話でも傷ついたり面倒だと思うこともあるだろう。
それらの痛みの伴わない相手が欲しいと思う気持ちは分からなくもない。
ただ、どうだろう。
全身の皮膚が肘やくるぶしのように痛覚が無くなって、如何に強くつねっても痛くなくなったとしたら、生きていくのは困難になる。
痛みは危険を察知するセンサーでもあるし、痛覚が無くなれば、他人と触れた時の手の感触も、ぬくもりも全て感じなくなってしまう。
肯定してくれる一緒にいて楽な異性がいたとしたら、その存在が身近にいるせいで今後できる恋人に求める感覚が麻痺してしまいかねない。
恋人と感じる幸せも、心地良い友達の存在で特別なものだと感じられなかったりするかもしれない。
身体の面積で言えば、肘もくるぶしも、ほんの一部。
自分の求める心地いい存在なんていうものは、割合で言ってそれくらいの人数でいいのだろうと思う。
Q3 顔が好きって言ったら嫌だなって言われました。顔が好きってよくないこと?
例えば小学校や会社などのコミュニティの中には、人付き合いが上手な人がいたでしょう。
そういう世渡り上手の共通点って、相手に気持ちを伝える表現と方法が上手だ、と思う。
私のように、感じたものを片っ端から言語化して世に垂れ流し、伝わりやすいことを重視するのは、愚者の権化といえよう。
私が、どのような表現で言えば相手が理解できるか頭を回転させている間、世渡り上手は、どういう言葉であれば相手は不快には思わずに言葉を聴いてもらえるのか、に注意する。
そこには、話の分かりやすさはまず置いておいて、言葉の受取手の感情を推し量って言葉を選ぶ。
顔が好き、と言えば「じゃあ中身は全然なんだな」と思う人間もいるだろうし、「だったら他にもっと美形の似たような顔の人もいるだろう」と感じる人もいる。
顔が好きなことが良くない訳ではなくて、きっと世渡り上手が持っている話の前置き、というものが欠けていたのかもしれない。
「内面も良いけど、シンプルに顔が好き」と伝えていれば、また印象が変わったかもしれない。
周りから面倒がられる私が他人のことを言えた立場ではないのだけれど。
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