僕のあまのじゃく#15

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

▷▷これまでのコラムはコチラから◁◁

ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくブリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「くしゃみ」

私はくしゃみをして、うさぎ跳びを3日間やり続けたことがある。
高校時代野球部の練習中、コーチが怒っているミーティングの最中にくしゃみをしてしまい、雷が落ちた。
「いいと言うまでうさぎ跳びしていろ」とコーチに指示され、グラウンドの隅っこで、ひたすらうさぎ跳びを続けた。

ウサギでも一日中はうさぎ跳びをし続けないだろうに、あの時の私はウサギよりもウサギだった。
気のせいだろうがあの期間は、普段よりも人参を身体が欲していたような気もする。
そのままひたすらウサギ飛びをし続けて、全体練習に戻って良いと許可が出た頃には3日が経過していた。

ウサギとしての自我が目覚めつつあったので、人間に戻れなくなる前にやめさせてもらえて良かった。
あれ以上続けていたら、今は動物園でウサギとして飼育されていたかもしれない。
あの頃の私は常軌を逸した環境で、何も疑問に思わなかったのだけれど、そんな罪深い行為だったのだろうか、と思う。
ハンムラビ法典でもこんな厳しくないだろう。

今は指導者も変わり、そんなことは無いみたいだから、読者諸兄姉は母校に属する後輩達に心配の目を向ける必要はないことを付け加えておきたい。

くしゃみをして謝る必要ってあるの?

くしゃみで痛い目をみたのだけれど、生理現象って、人間に残された数少ない動物的反応だと思うんですよ。
いくら知性の猿轡(さるぐつわ)で抑え込もうと、あくまでも我々は家畜と変わらない動物であることを
生理現象が起きるたびに再確認させてくれる。

だから、私は痛い目を見たとしても、生理現象を愛している。
如何なる偉人でもゲップが出るときは出てしまうし、アイドルもオナラだってする。
自分とはあまりにも異なる存在であっても、ああ彼らは同じ人間なんだなと安心できる瞬間でもあり、その事実だけは平等であって上も下も存在しないように感じる。

みんなに等しく起きるものであって、恥じるものではない。
ただ、くしゃみをして「すみません」と謝る人がいる。
謝らないまでも、くしゃみの音で場を乱してしまって申し訳ない、という顔をする人がいる。

私は、そのすみませんを聞くたびに、いや謝ったって仕方ないだろ、と思う。
申し訳ない顔したって、それは生理現象な訳で、誰だって出る時は出る。

失礼な行為でもないし、意識しなくとも出てしまうもの。
ウサギ飛びなんてさせられないでしょう。
私が特殊だっただけで。

それを、さも悪い行為のような認識でいる人には喝だ。
真剣な話をしている時に、大きなくしゃみをしてしまったとしても、それで契約が不成立になるようなものだったら、何をしたって不成立だろうし、「テメェ、何くしゃみしてやがんでぇべらぼうめ」と怒られることもないだろう。

私の高校時代だけが例外だけれど、世の中にそんな大きな影響を与える行為ではない。
くしゃみをした際に怪訝な顔をされたら、いや、みんな出るだろ!!と大きい態度で対峙するのが良い。

ー完ー

これまでのコラムは▷コチラ◁からチェック!

ティモンディ前田裕太「この歳になって恥ずかしいのだけど…」【僕のあまのじゃく #14】

ティモンディ・前田裕太「売れても変わらないようにするにはどうすれば?」クレバーすぎる頭のナカ