僕のあまのじゃく#42

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

▷▷これまでのコラムはコチラから◁◁

ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「返信」

中学3年生の時、彼女ができた。
硬式野球クラブチームに入っていた私は、最後の夏の引退をきっかけに意中の相手と懇ろな関係に至ることに成功したのだ。
それまでは、色恋に浮かれている奴を見ては、部活動に熱心に取り組んでいない、腑抜けた奴だと思っていた。
一生懸命に打ち込むものがあったならば、恋愛なんてする暇もないだろう、と人間として終わっている偏見に支配された中学生だった。

そんな私も、クラブチームの最後の夏が終わり、愛媛の高校に行くまでの半年ほど、自由な時間が享受できる時期ができた。
その時に、ふと思った。
こんな泥まみれで汗臭いだけの中学生活でいいのだろうか。
このままでは、私の中学時代はグラウンドの上で息切れしている姿しか思い出さないことになってしまう。
そんな危惧をした時に、ご縁もあったことが重なって、秋が来る頃に、ご令嬢と付き合うことができた。

ただ付き合ったとて、中学生の恋愛なんて学校が終わった後に一緒に下校するくらいしかすることはなかったのだけれど、野球漬けだった私の数少ない甘酸っぱい経験である。
自分でいうのも変だけれど、ガタイの良い五厘刈り偏屈野郎でも構わないと好いてくれる物好きがいて本当に助かった。
彼女が出来てから大きく何かが変わった訳ではないけれど、下校する時は遠回りすることになるけれど、ご令嬢を家まで送った後に帰路へ着いたり青春っぽいこともした。

道中では聞いている音楽の話や先生の話など、大した話をしていなかったけれど、それでも変化球や打撃フォームのことばかり話ししていた身からしたら新鮮で楽しかったのを覚えている。
なんだ、思っていたよりも恋愛って刺激的じゃない、と楽しんでいた。
そりゃ恋愛に夢中になる人がいてもおかしくはないな、と中学生ながらに自分の見識の狭さを感じたものだった。

甘酸っぱい日々は続かず…

ただ、そのハッピー浮かれタイムはそう長くは続かない。
三ヶ月も経つと、私は自分で選択した愛媛にある高校に行かなければいけなくなった。
恋愛の楽しさを知ったばかりなのに!
しかも、その高校は当時、携帯の所持が禁止だった。
寮生活で、携帯を持っていない人間は、電話もできなければメールも送れない。

やりとりする手段は、手紙しかなかった。
なので、私は高校に入学すると、神奈川にいる彼女と文通で連絡をとることになる。
それしか方法がなかったし、仕方ない。
ただ、もう時代は平成。

ガラケーからスマホに移行しようとしていた時代に、随分と前時代的な方法でやりとりをしていた。
手紙を書いて送っても、手紙が相手の手元に届くのは2日後。
その手に届いた手紙にすぐ返信をしてくれたとしても、その返信も2日後に手元に届くので、自分のメッセージに対して返信が来るのは約一週間後になった。

当時の私は、相手の返事がいつ来るかとそわそわしてしまった。
野球をするために愛媛の高校へ単身乗り込んだのに、こんな浮ついた気持ちを持っていては、野球に全力で取り組めなくなってしまっているような気がしてしまい、結局、遠距離を一年もしないうちに別れるに至ってしまった。

ちゃんと送った手紙は届いているだろうか、とか、相手は元気にしているだろうか、とか、野球に100%熱量を向けたい身からすると、余計な思考だと思ってしまったのだ。
我ながら、極端な奴だなあ、と思う。
今思うと、返信がすぐ来なくとも、それはそれでとても素敵な時間だったと思う。

今やLINEなんて瞬時に相手が既読したか否かもわかるし、相手からの連絡がだいたい数日では返ってくるのは当然。
返信って、すぐ来て当たり前だと思っている。
チャットのようなやりとりが前提になっているからだろう。
1日かけてまとめて自分の考えや思ったことをまとめて文章にして、相手へ伝えることなんて、だいぶ少なくなってしまった。

返信がこまめに来やすい環境だからこそ、そんな機会も減ってきてしまったのかもしれないけれど、あれはあれで今となっては、良かったなあ、と思う。
返信があまり来ないなら、それはそれで一度に送る内容の密度も濃くなるし。
また、そんな経験を、あわよくば意中の相手と出来たらなあ、と思う。

ー完ー

これまでのコラムは▷コチラ◁からチェック!

ティモンディ前田裕太「見知らぬ誰かの言葉で傷つくことがあったら…」【僕のあまのじゃく#41】

ティモンディ・前田裕太「売れても変わらないようにするにはどうすれば?」クレバーすぎる頭のナカ