青戸しのが乙女の憂鬱に寄り添うコラム連載!

”女の子の憂鬱に寄り添う”がテーマのarwebコラム連載「今日は乙女休みます」。毎回違うテーマに沿って紡がれる青戸しのさんの言葉にちょっと身を委ねてみて♡

(前回のコラムはこちら)過酷なダイエッターに周りからの“十分痩せてるのに“が効かない理由「唯一心配できる事があるとするなら…」

第七回のテーマは大人の逃げ出し方。「友人のMちゃんが家出した」と聞いた青戸さんが”逃げ出し方”について考えてみた。

「夏休みに外出したきり帰ってこない」友人の家出を知った私は...

去年の夏、友人のMちゃんが私達の前から姿を消した。

「Mちゃん覚えてる?」
「もちろん、最近話してないけど」

2021年、コロナ禍真っ只中のお盆休みに私は母とビデオ通話をしていた。

「Mちゃんがどうかしたの?」

私がそう聞くと母は気まずそうに「夏休みに外出したきり帰ってきてないそうなのよ」と答えた。
Mちゃんと私は生まれた病院が一緒だった(らしい)。
物心つく前にどちらの家も引っ越して、電車で二時間くらいの距離になってしまったので年に数回会える不思議な距離感のお友達だった。

何もかも捨てて逃げ出したくなる瞬間が私にもある

「安否確認は出来てるみたい」

その言葉で張り詰めていた緊張が少し緩む。

「連絡がつくならひとまず安心だね、理由とか居場所はわかってるの?」
「なんとなくはね、人に会いに行ったみたいだけど」
「けど?」
「複雑なのよ」

歯切れが悪い。相当複雑なのだろう。
現代社会において複雑じゃない人間なんて絶滅危惧種だ。
スマホやアプリも発達し、昔と比べて出会いの数はずっと増えた。誰だって、遠くに住む会ったことのない人間と容易に関係性が築けるこの時代。生まれた街で死ぬ人の方が少ないのではないだろうか。

「心配だけど、私たちもう二十歳超えてるんだからきっと大丈夫よ」

母は「そうねぇ」と答えたけれど納得していない様子だった。
正直なところ、ほんの少しだけMちゃんが羨ましかった。もちろん心配もしていたけど時折、何もかも捨てて逃げ出したくなる瞬間が私にもある。

お気に入りのスニーカーを履いて鞄ひとつでここを抜け出す。
縁もゆかりも無い土地での生活を思い描いてみる。その先に最愛の人がいるとしたらどんなに素敵だろうか。
もちろんそんな勇気も度胸もないので眠りにつくまでの間、少し思いを馳せてみるだけだ。

青戸しの

「全てを捨てて走り抜けて自分を守っても良い」

「Mちゃんから連絡が来たら教えてね」

心配そうな声色に胸がいたんだ。
親から見たら私たちはいつまでも子供なのだろう。
「うん」と軽く返事をして少し強引に話題を切り替えると母はいつもの優しい顔で話に乗ってくれた。
複雑な事情があって逃げ出したとして、残された側はもっと複雑な気持ちなのだろう。

どちらも苦しいのだ。
それなら、せめて自分が一番納得がいく方法を選んで欲しい。
ここを捨てられないと受け入れて前向きに生きるも良し、全てを捨てて走り抜けて自分を守っても良い。
度々言っているが、人生の選択権はいつでも自分にあるのだ。
あの時ああしていれば、しなければ、と思い悩むこともあるけど大抵、if の世界は未来でも作れる。

一度逃げ出したところで生きてさえいればどうとでもなるのだ。
あれから1年たった今もMちゃんは実家に帰ることは無かった。
きっとこれでいいんだと思う。自分が好きな自分でいられる場所を彼女は見つけられたのだろう。

青戸しの

実はMちゃんの行方はとっくに知っていた。そして多分、両親もその事に薄々気がついている。

一方で私はというと、家族の気持ちや、先延ばしにしていた仕事を考えると、今すぐにここを去ることは出来ない。それでも半分は彼女の気持ちがわかってしまうから、もうしばらくは秘密を守ろうと決めている。

秘密を共有している以上、一緒に怒られる覚悟を決めなきゃな…と腹も括った。
距離はもう少し離れてしまったけど、半分大人の特権を使って年に数回なら会いに行けるだろう。
昔から何も変わらない、今でもMちゃんは不思議な距離感のお友達だ。

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