僕のあまのじゃく#99

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:刺客

孤独が迫る夜がある。
そんな色々と考えすぎてしまう夜に何を考えても泥沼にハマり思考が悪い方向へ引っ張られてしまう。
全てが上手くいかないように思うし、何事も絶望してしまう。
読者諸兄姉もそんな経験があるだろう。
私は時々そんな夜が訪れると、散歩をするようにしている。

心と体は繋がっているというから、行き場がなくなってしまった心をどうにかするために身体を動かしてバランスをとるのだ。

あれこれ考えて頭がスパークしてしまいそうになったので、その日の夜も散歩することにした。

歩きながら物事を考えると余計な思考が削られていくのがいい。
意味のない杞憂も歩きながら考えていると、そこまで深刻に考えなくて済むことが多いのだ。

「あのロケで何故、あのワードが出てこなかったのか」「なんであんな言葉を言ってしまったのか」そんなモヤモヤを頭に抱えて歩いていると、背後からの気配に気づく。
何かおかしい。
適当に家の周辺を練り歩いているのに、違和感を覚えるほど同じ道を後ろの人が歩いているのだ。
私についてきているとしか思えないくらい、不自然なほど道が同じなのだ。

刺客か?
緊張感が走る。
もしかすると、私の命を狙っているのかもしれない。

映画を見ていると、話を面白くするために主役に対して刺客が送られることがある。
主人公からしたらその存在のせいで気を揉むのだけれど、波瀾は見ていて面白さを増すし、刺客の存在が主人公の成長を促してくれたりする。
ただ、それはあくまでも物語であって、現実に現れたら恐怖に他ならない。
刺客であるならば、どうにかして倒さなければならない。

これは、立ち止まって振り向き、追ってきている人と対峙するべきなのかもしれない。
戦うか。

いや、だがどうだろう。
もし私が映画に出てくるのであればモブ。良くてサイドキック。
そんなモブに刺客なんて送られるだろうか。
少なくとも私が見てきた映画では、そんなシーンはない。
主役のようにキラキラ光る人であるから、敵対する組織から存在自体を妬ましく思われるのだ。
出る杭は打たれるというやつだ。
その点、私は平々凡々。
どこをとっても並み。
図抜けた才能があると、その代償として周囲からの嫉妬を買うだろうけれど、何も抜けていない凡才に嫉妬する人間はほぼいないだろう。
私のような存在していても誰も悔しがらないような人間は、消えて欲しいと願われることもきっとない。

だから、きっと後ろから刺客ではなく、たまたま道が同じだった人に違いない。
この凡人に刺客を送るほど世の中暇じゃないのだ。

なんだか、自分で言っていて情けなくなってきたけれど、そう確信した私は、スマホを触る仕草でその場で立ち止まってみた。

すると、後ろを歩いていた人は、私の存在など気にも留めずに、抜き去って行ってしまった。

やはり、刺客ではなかった。
良かった。

けれど、安堵すると共に、ふと思う。

やはり私のような人間には刺客を送るほどではないということだろうか、と。
抜き去っていった人の背中が「お前の命は狙うほどでもない」と言っているようだった。
羨ましい、悔しい、と他人が思うような才能が、誰かが脅威に思うほどの力が、私にはないのか。
才能がない私には、組織からすると刺客を送る価値がないというのだろうか。
その事実が悔しくなってきた。
刺客であってくれたら良かったのに。
そんなことを考えてしまう。

お気づきかもしれないけれど、行き詰ってしまう夜にはこんなことまで考えすぎてしまうのだ。
読者諸兄姉には、私のような末期症状がでないことを願う。

ー完ー

ティモンディ前田裕太「僕の哀れな記念日記録」【僕のあまのじゃく#98】

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