それから5年後。社会人としてそれなりに食っていけそうな給料をもらえるようになった僕は、懲りずに「東京」に憧れて、一年だけ新宿付近のデザイナーズマンションに住んだ。

夜の7時。渋谷のスクランブル交差点や井の頭通りと山手通りが交わる富ヶ谷交差点周辺を自転車で走ると、それだけで東京を感じて気分が高揚した。いくらミーハーと言われようとも、形ばかりのスタイリッシュ・ライフに身を投じているだけでいくらか気分は良くいられた。単純に、吉井と亀川への憧れがまだ捨て切れなかったのだと思った。

結論、東京という街は、そうしたいくらかの見栄や憧れが作りだした、巨大な虚像のようなものではないかと思う。

この街は、憧れれば輝くし、蔑めば灰色になる。
愛すれば賑やかに思えるし、憎めば騒がしく感じられる。


情報が多く集まり、最先端のイベントが開かれ、ミュージシャンがほぼ確実にライブを行う、いくらかの可能性を秘めた街。テレビで紹介されるお店にすぐ行けて、たくさんの人の中で一人ぼっちになれる不思議な街。そんな東京を、崇拝する人は少なくない。東京出身の僕だって、「東京人」に憧れていたように。


大学を卒業後、吉井は繊維を扱う商社に勤めることになった。オフィスはもちろん都内だ。あれほど服が好きだからアパレル店員になるかと思ったが、彼は「食っていけなくなったら岩手に帰らなきゃいけないから。東京で余裕を持って暮らすには、経済力と、現実的な努力が必要なんだよ」と返した。

亀川も、Uターンと迷った末、都内の一般企業に勤めた。てっきり自由業的な暮らしをするかと思ったが、「そんなに甘くはないよねえ」と、ハイボールを飲み干しながら笑っていた。そうか。そんなに甘くはないのかと、少しだけ落胆したのを覚えている。

彼らには、帰る場所がある。それは、「負けたときは帰らざるを得ない場所がある」という意味でもある。僕は僕で、ずっと東京に縛られている必要はないし、見知らぬ土地でゼロから始めることだってできる。それでも、もう少しこの街で東京的な生き方をしていたいと思った。

「だから、どこの出身とか関係ないよ。この街に住んだ以上、この街から振り落とされないために、今日も明日もしがみつくだけ」似合いすぎたスーツを着た吉井が言う。

極彩色のネオンが宿る。下水の匂いが時にアスファルトに立ち込め、その上を今日も百万単位の人が歩く。大都会東京で、今日も東京人に憧れる東京出身の僕がいる。

 

TEXT/カツセマサヒコ
ライター・編集者
2017年4月に独立。小説、コラム、エッセイなど幅広く活躍中。
arwebで『雌ガール、三度目の恋をする』『男子から見たarのミドコロ』を連載。
Twitter: @katsuse_m