ティモンディ前田裕太が今週も皆さんの乙女心を受け止める時間がやってまいりました。
お仕事、学校などなど、日々にお疲れ気味の女子たちの心を癒す連載

【ティモンディ前田裕太の乙女心、受け止めます!】

今宵は「友達と恋愛対象の違いって?」についてのお話。

♡♡♡♡♡

迷える仔羊の悩みの中でもデリケートなのが、友達と恋愛対象の境界線問題。

幾らかいる大切な人でも、どこまでが自分にとって友達でいたいと思い、どこまでが懇ろな関係になりたいと願うのか個々人の線引きは曖昧な場合が多い。
意中の相手にアタックしても、あくまでも相手は友人にしか思っていないこともあるだろうし、その逆も当然に起こりうる。
どちらにせよ悲劇。
「ごめん、友達にしか思えない」とジュリアに傷心した際には、石灰で地面に線引いてどこまでなら恋愛対象として見てもらえるのか教えろよと火炎瓶片手にデモ行動を起こしかねない人の気持ちもわかる。

けれど、どうだろう。
イルカとクジラの線引きだって無い世の中なのだから、白黒ハッキリさせられないものもあるのかもしれない。
2021年人類が歩みを進めてきても、なんとなく大きいのがクジラで、なんとなく小ぶりなのがイルカ。
シャチはなんか大きめだからクジラ、なんて生き物をほぼ感覚で分類している。
だから、感情という更に曖昧かつ混沌を極めたものには、いくら仕分け人が脳内に立ち入って「二位じゃダメなんですか」と圧をかけて大臣が白黒ハッキリさせるメスを入れたところで、主観のみで判断せざるを得ない事柄は明確にさせるのが難しい。

はっきりさせないことも大事。だけど…

ただ、あまりにも曖昧な線引きは、時として心身共に悶々とさせる。
そんな疲弊した一部の読者諸姉を私は見捨てない。

今回で50回にものぼる我がコラムに付き合ってくれている御令嬢達の悩みは片っ端から駄文の手榴弾を御見舞いして木っ端微塵にしていく所存である。
したがって、今回もその線引きをあくまで私の主観ではあるけれどしていきたい。
思うに、毎晩寝るときに顔を思い浮かべるのが恋愛対象であって、時間や暇を持て余した時に思い出すのが友達。
もしくは、肉体的な接触に対して許容できるか出来ないか、が一つの線引きだろう。

私という人間は、至極面倒くさがりな人間であって、加えて面倒くさい人間でもある。
知っているという外野からの野次は受け付けない。
そんな自分の場合は、面倒を厭わずに相手のことを考えられるのであれば、恋人として大切な人という気持ちを持っている。
逆に、同じ行動をする場合でも、あくまでも面倒だという気持ちがありながら仕方なく行う場合は、友達として大切な人と思う。

面倒な事柄でも、全く面倒だと思わないかが個人的な線引き。
悩んでいる子羊にはこれくらいの思考では不発弾かもしれないけれど、何かの手助けの一端になれば何より。

♡♡♡♡♡

なになに?もっと前田さんに諭されたい?

そんな方は下記からチェケラ♡!

バックナンバーはコチラ