僕のあまのじゃく#3

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくブリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「涙」

フジテレビで『新しい波24』という番組が2017年にあった。
スターは8年ごとに現れるっていう法則から、『新しい波』『新しい波8』『新しい波16』と8年ごとに作られてきた番組で、多くの若い年代の芸人がオーディションを受け、最終的にその中から26組の芸人が抜擢されて、活躍の場が与えられた。

今の若手芸人の最前線、ここにあり!と華やかなパッケージにリボンをつけたような、トイザらスの店内くらいワクワクする番組だった。
だが、番組を見ていた人はご存知の通り、私達はその中に入ってはいなかった。
テレビの向こうで年齢の近い人たちの活躍を、指を咥えて見ていて、しゃぶり続けていたら親指がふやけてる日々。
しゃぶった指の塩気で白米を食べて食費を削れないかと考えた当時の私は人間として大切な何かを失っていた。

カップラーメンを食べる時に、ふやかせばふやかすほど量が増えるためにお湯を入れて15分以上置いて食べて胃を満たしていたのは通常運転で、テレビに出始めた2年前は今よりも幾分シュッとスマートだったのは単に栄養不足だったと思う。

それまでは、光熱費も払えず、ガス水道電気とライフラインが全て止められていて、人間としても芸人としても、底辺を這っていた。
尿意が襲ってくると公園の公衆トイレまで足を運び、その度に少しずつ自分の人間性を外に捨てていたのだろう
僅かばかりの自尊心から我が身を客観視して涙を流すこともあったが、その涙もおかずに出来ないかと考えていた時点で救いようがない。

泣いてばかりの日々

2016年も終盤。
24歳バイト生活の芸歴3年目を迎えようとしているほぼフリーターと変わらない身としては、19歳の子達や結成1年目の子達が実力を見せて輝いている姿を見て、羨望と嫉妬と不甲斐なさに身悶えし打ちひしがれて、また涙を流したのを覚えている。

ようやく電気代を払ってテレビをつければ、華やかな画面の向こうに自分の居場所はない。
何より、私達はオーディションすら受けさせてもらえなかったし、受けさせて貰ったとしても、26組に絶対入れたという自信がなかったのが更に自尊心を欠落させた。

街を歩けば、学生達がフースーヤのマネをしていて平和ボケした呑気な野郎達だと心の唾を吐きかけてきた癖に、友人とふざけている流れで、無意識に自分も彼らのマネをしていて、膝から崩れ落ちて涙したこともある。

結局、嫉みから良いものを良いと評価できないだけではないか、と自己嫌悪に陥ったり。
なんだか泣いてばっかりだなあ。
あんなに素直で真っ直ぐな可愛い前田はどこに行ってしまったのだろうか。
大気圏を出て地球外に出てしまったのかもしれない。彼には幸せになってもらいたい。

サンドウィッチマン富澤さんのご子息の家庭教師をしていたのだけれど、勉強を教えに家に伺った時に、富澤さんの奥さんから「目の光が消えていっている」と心配されたのを覚えている。
この世には世界がキラキラと輝いて見える人がいると言うけれど、ただの詭弁(きべん)だと思っていた私としてはまだ光は消えきっていなかったのか、と逆の驚いたくらいだったけれど、絶望の淵に立たされる度に涙を流していくと、死んだ魚のような目になっていくののだと分かった。

そこのギリギリをいつも生きていた私が踏ん張れたのは、当時ライブに足を運んでくれたファンと食事に連れていってもらったり白米を持ち帰らせてもらったりと苦しい時に面倒を見てもらった富澤家だった。

ただ、なぜあんなに涙を流したのだろうかと理由を考えると、それだけ本気で向き合っていたからだと思う。
だからこそ、ぶつかっても迂回したり逃げたりせずに醜態を晒しながらでも進めたのだろう。
まだまだ思い描いている先は長くて遠い。
いつか、あの時に見ていたキラキラした世界の一員だと胸を張って他に誇れるまで、この情熱の中に2人でいられますように。
そして、少しでも喜びで流す涙の量が増えますように。

今後の自分にそんな願いを込めて、今日はこの辺で。

ー完ー

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