僕のあまのじゃく#20

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくブリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「クリスマス」

今年も街にクリスマスソングという名のラブソングが流れる季節になってきた。

クリスマスは一年でたった1日なのにも関わらずクリスマスソングだの銘打って歌手はこぞって曲を出しているけれど、それだったら正月ソングやお盆ソングだったり端午の節句ソングなど一年で同様に1日にしか過ぎない日達を平等に歌え称えるべきではないか。

世の中のその他大勢である自分としては、蔑ろにされている他の364日が居た堪れなくて仕方ない。
愛なんて年中する普遍的なものでしょうに、何をこの時期に集中しちゃって。

こんなにクリスマスにラブソングが流行るのは、冬になると寒くなるから人肌恋しくなるから、愛だの恋だの歌っている曲を聴いたら鑑賞に浸りやすくなってるからなのかね。

クリスマスソングは恋愛のためにあるんじゃねぇぞ!
もっと雪だツリーだ!とワイワイ騒ぐだけの能天気ソングがあったって良いのに。

クリスマスなんて碌な思い出がないのだけれど、強いていうなら学生時代の彼女が西野カナをよく聴いていたことを覚えている。

私は弁護士になるための勉強に勤しんでいたので、当時流行っていた曲に疎く、西野カナのことを歌唱力のある人だなあくらいにしか思っていなかったけれど、当時の世間は西野カナ一色だった。
右も左も、かなやん、かなやんと騒いでいた。

私からしてみれば、かなやんは巨人の金田正一選手だったけれど、金田選手は、そもそもかなやんではなくかねやんと呼ばれていたし、私に同意してくれる人が少なかったのは言うまでもない。彼女が曲を出せば大ヒットのオンパレードで、きちんと聴いていない私は、毎度毎度みんな揃いも揃って同じ曲を聴いちゃって、と流行している事実だけでなんだか素直に聴く気にもなれずに私は眉間にシワを寄せていた。

「カナやんの曲めっちゃええよ」と彼女から強く推されても、頑なに受け入れない姿勢を貫いていたのを覚えている。
嫌な奴だったと思う。
今でもか。

まさかあれがきっかけで…

友達とカラオケに行くと、この季節だからという理由でクリスマスソングがよく歌われる。
私の世代だとEXILEのLoversAgainが爆裂にヒットし、皆こぞってカラオケで歌っていた。
当時本家を聴いたことがなかった私は、友人達の歌うLoversAgainを、まあ別に良い曲だけど、くらいに聞き流していた。

メロディラインはいいけど、そりゃ友人のレベルの歌唱力であれば、まあいい曲だけど、くらいで終わってしまっても理解できるだろう。
それが、ある日、クリスマスシーズンにテレビをつけたら本家の歌がPVで流れてい流のを目にし、ATSUSHIが友人達と同じ歌を奇跡的な歌声で曲を歌い上げていたので、それを耳にした私は本家はこんなに素敵な曲なんだと、その友人との歌声の差に衝撃を受けて大ハマりしてしまった。
それが、かなやんでも同様のことが起きた。

西野カナがMステに出ていて、たまたま実際テレビで歌唱しているところを聴いたのだけれど、その時はこんなにか細い女性がシボレーくらいのパワーで歌い上げていたので、度肝を抜かれたものだった。

クリスマスか、イブだったか定かではないけれど、彼女と約束をして、デートをすることになった。

その会っている時に「西野カナそんなに注視してなかったけど、テレビで初めて歌ってるの聴いたらめちゃくちゃすごかった」と聴いた時の感想を、盛り上がるかなと話題提供のつもりで言ったのだけれど、それが間違いだった。

それを聞いた彼女は「私の歌唱力では興味示せなかったもんね、ごめんね。」と冷たく答えて、その後のデートが険悪な雰囲気になってしまったのだ。

西野カナの歌唱力で西野カナの曲を歌えば、それは当然素晴らしいクオリティでしょう。
それを彼女に求めてる訳ではないのに、彼女の歌唱力不足をなんで私が責められなければならないのだろうか。

これはひとえにクリスマスシーズンになるとラブソングを流しまくる風潮のせいである。
私一人の責任ではない。
言うまでもないがその御令嬢とは別れることになったのだけれど、

読者諸兄姉もクリスマスソングには注意してもらいたい。

ー完ー

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