僕のあまのじゃく#34

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:「財布」

自慢ではないけれど、私は財布をよく紛失する。
ボールペンなど代価可能なたいした物ではない小物とかは全然失くしたりしないのに、財布はもう数十回と失くしては探し出し、見つからない時も多々ある。
人って大切なものほどよく失くすんだなあ。
何にでも言えることなのかもしれない。

思い返してみると、関係性の浅い友人とは言えないくらいの人間よりも、大切だと思っている人たちの方が比較的ぞんざいに扱ってしまう節がある。
自分の中で重要なものは、丁寧に扱わねばならないな、と改めて思う。

人生で財布を数十回以上紛失しては、その度に警察に届いているかどうかの確認をしているから、手元に財布がなかった場合の対応は自分の中でマニュアル化されていて、イレギュラーな出来事ではなくなってしまっているため、財布を失くしても、落ち着いて対応できるので周囲から驚かれることが多々ある。

もはや、財布は元来落とすのが前提だという認識すらある。
毎度探すことに苦労する羽目になるのに、人間というのは全く学習しない生き物だなあと思う。
これに限っては、私だけか。

財布に人格があるならば「大事なら離さないでよ」と怒られるだろう。
だが、こちら側だって「離れて行ったのは君ではないか」と言い分はある。
財布を落とさないよう、チェーンのついたタイプだったり、首から下げるタイプの財布にすればいい、と安直にいう人間がいるけれど、これは全くもって論外である。

長いこと自分と共に時間を共有する存在に対して、鎖で繋ぐなんて、束縛以外のなにものでもないし、強制的に自分の側から離れさせない、という選択を人であれ物であれ、するような人間にはなりたくないのだ。
理解されないことはわかっている。
ただ、私はこういう人間なのだ。
だから結局困ることになるのだけれど。

これがいわゆる絶体絶命

この間、財布を無くした時の話だ。
各所に電話して確認すると、その時は幸い、警察に財布が届いていた。
毎度のことだけれど、日本の治安はすこぶるいいなあと痛感する。
もちろん手元に帰ってこないこともあるのだけれど。

ただ、警察に財布が届いていた場合、ある問題に直面することになる。
その財布が本当に自分の物なのか、証明するために身分証が必要になるのだ。
私は、基本的に身分を証明するものは全て財布の中に入れている。
従って、財布を警察から受け取るときに、私自身が前田裕太だと証明できるものが何一つないのだ。

確かに私の財布が警察に届いているのだけれど、「これが自分の物だと何か証明する書類などは手元にありますか?」と聞かれると、もうお手上げ状態。
困っていると「財布の中に顔写真付きの身分証明書はありますか?」と警察の方が聞いてくる。
けれど、私は免許証も持っていないし、まだマイナンバーカードも発行していない。
公的な写真付きの身分証を持ち合わせていない。
絶体絶命。

ただ、写真付きのものが何ひとつ財布に入っていな訳ではない。。
公的な物ではないけれど、私はサンリオピューロランドの年間パスポートを有している。
その年パスは、バツ丸の被り物をしてアホ面した私が記載されていて、それが唯一、私の財布の中にある顔写真付きのものだった。

「サンリオの年パスならあるのですが」と恥ずかしながら警察に伝えると、私の財布の中から、年パスを取り出して、顔を見比べられる。
これが恥ずかしいったらない。
ピューロランドで浮かれたアラサー男子の顔写真と、今の私の顔を比べられるのだ。
いくらか比較された後、まあ今回は特別にこれでいいでしょう、と、必要な書類に記載をして、財布が手元に戻ってくるに至った。

なかなか恥ずかしい思いをした。
もうこんな経験はしたくない。
これからは、また失くして警察に届けられたときに、スムーズに受け取れるように、マイナンバーカードでも発行しておこうと思う。

ー完ー

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