僕のあまのじゃく#64

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:ハロウィン

ハロウィンの季節がやってきた。

頓知気達の承認欲求を満たすためのイベントと言っても過言ではないこのイベントも経済効果が数億円にものぼると言われているので馬鹿にはできない。

街で騒いで警察のお世話になっていた人間も、結果的に罰金刑で国にお金を納めることになるし、他人に迷惑をかけることは看過できないけれど、国や企業に対して積極的に金銭を支払う姿勢には賞賛の拍手を送りたい。

ドンキにはハロウィンに備えてコスプレグッズが並び、意気揚々と当日の衣装を買っていく人たちがいるけれど、経済を動かしている当人たちに対して、邪推するのも違う気がする。

そんな格好で街を練り歩くなど、破廉恥ではないか、と、目を覆いたくなるようなコスチュームが山のように置かれているが、ハロウィンにコスプレをして騒ぎ回る連中に羞恥心を求める方がおかしいのだ。

それに、自らの労働の対価を何に払うのか、とやかく言う筋合いもない。

ただ、ハロウィンをコスプレパーティーだと勘違いしている能天気は見過ごせない。

お祭りは、それぞれに意味があって、そこに対する理解とリスペクトがなければ、単なる暴徒と変わらない。

サッカーの応援で、熱狂したサポーターが発煙筒を焚いた結果、煙がスタジアムに充満し、試合の開始ができなくなることがある。
「サッカーが好きで、試合を盛り上げたくてつい」だなんて言っていたとしても、迷惑には変わりないだろう。
あれ、本当に迷惑なんだよ。

個人の楽しみを重視しすぎて、お祭りやスポーツ、相手へのリスペクトを欠くべきではない。

最近では、その理性を投擲し、自らの趣味を満喫するのに振り切った結果、多方面に迷惑をかける人間が目に余るようになってきた。

どんなエンタメも迷惑がかからない範囲で、楽しむにとどまるべきだ。

ハロウィンは度を越して、嗜み方を知らない人が多い。

本来であれば、ハロウィンというものは、カボチャをくり抜いて、中に蝋燭を入れたジャック・オー・ランタンと呼ばれるお化け提灯を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うイベントなのだ。

そんなカボチャで怖がって逃げていく悪霊なら、プロレスラーの蝶野さんを街に練り歩かせれば、その威圧感で霊なんて一瞬で成仏してしまうだろう。
硬いカボチャをくり抜いて、わざわざ手間暇かけて驚かせる必要もないようにも思う。

けれど、ハロウィンのたびに蝶野さんを全国各地津々浦々練り歩かせる訳にもいかない。
そう考えると、蝶野さんの代用として、カボチャを用いるのは、まあ仕方ないか。

英語圏、特にアメリカでは、悪い霊を怖がらせるという意味合いから、ジャック・オー・ランタンに止まらず、恐ろしいものの仮装するという傾向がある。

吸血鬼やゾンビ、フランケンシュタインなどの恐怖小説に登場するものが挙げられるけれど、ハロウィンにコスプレをするようになった文化は、ここから来ているのだろう。

そこから、どうせコスプレするなら、とアメリカンコミックのキャラクターのコスプレをしたりするようになったらしい。

現代の日本で、ハロウィンにコスプレをするのであれば、この最低限の土壌を知った上でコスプレをしなければならない。

最初は、霊を驚かせる目的で、恐怖の対象に挙げられるものに仮装していたのだ。

概念では、連勤や残業、日曜日の夜など、労働に関するマイナスな言葉は、悪い霊すら怖がるだろうけれど、ただ、その概念をコスプレするのは難しい。

悪い霊を退散させることも頭に入れつつ、コスプレをするならば、私は、蝶野さんのコスプレをすることを皆にはオススメしたい。

「ガッデム」と咆哮しながら街を数百人の蝶野さんのコスプレをした人が練り歩けば、ここ数十年単位で、いたずらしてくる霊も寄り付かなくなるだろう。

このコラムを読むような読者諸兄姉は、ハロウィンに参加するのであれば、サングラスをかけて蝶野さんのコスプレをするのがいい。

ー完ー

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