僕のあまのじゃく#76

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

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ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

テーマ:相槌

仕事柄、人と話をすることが多いのだけれど、相槌に困ることが多い。

というのも、自分の過去の栄光に縋り、その自慢話に終始する人間がいるからだ。
そんな自慢話なんて、大体はただ「凄いですね」と言われたいだけということも透けて見えてしまう。
そんな人間に、丁寧な相槌をする必要はあるだろうか。
いや、あまりないだろう。

もはや相槌を打つ必要すらないと思う時がある。

それでも無視をする訳にもいかないのが難しいところだ。

結局、その過去のトロフィーを見せることでしか自分のアイデンティティを確立できず、自分の自慢ばっかり。
そんな大人が多くて辟易する。
初心忘れるべからず、という言葉があるけれど、そういう人の類いは、初心の起点を自分の栄光時代に設定している。
そして、その栄光時代の写真をLINEのアイコンにしている。
見てられねぇよなあ。

その手の類いの人間に「俺、高校時代、〜したことがあるんだ」と胸を張って自慢されたことがある。

確かにその事実は、フラットに聞けば凄いことなのかも知れないけれど、自分から言ってくること自体イタい。
今この瞬間の自分を誇れていない証拠にもなってしまうのに気づいていないのだろう。
そんな人間、読者諸兄姉の周りにいないだろうか。
いたとしたら、相槌は早々に近づかない方がいい。
私はその選択を失敗してしまい、永遠と相手させられることになった。

その話、興味あります、というスタンスで相槌を打ってしまったが故に、承認欲求の塊に捕まってしまった。
一応、私は大人なので、それでも態度には出さずに「凄いですね、高校のいつの時の話ですか?」と話を掘ってみた。
すると、今まで何回も色々な人に話してきたであろう自分の過去の栄光をスラスラと話し始める。
録音機械を再生したような流暢さだった。

「へぇ」とか「凄い」とか私のする相槌は、もはや彼にとっては、その言葉を受けて当たり前の態度だった。
きっと新たな人間関係を築くときの手段として毎度その話を利用しているのだろう。
ただ、そんな過去の出来事で、私と人間関係を築けると思っただけで腹立たしい。
今まで何をしていたか、は多少その人を説明するには楽でいいかも知れないけれど、大切なのは、今何をしているか、だと思う。
その人は、今は何をしているのか分からない、と自分でも言うくらい色々な仕事に手を出していた。
きっと、だからこそ他人に誇れるものが、真っ先に過去の栄光のなるのだろう。

いい加減、相槌をするのも面倒になってきて、その彼の苦労話に対して「むぁ」とか「ネォ」とか、適当な相槌を混ぜてみることにした。

けれど、彼は、自分の自慢話に、そんな適当な相槌が打たれてるだなんて思うはずもなく、丁寧な相槌を打ってくれていると思っている顔をして自慢話を続けていた。
もう、自分が話したいことを相手に話せていて、なんとなく相手にその凄さが届いていれば、なんでもいいのだろう。

そんな、過去の栄光縋り人間が、読者諸兄姉の周りにはいないだろうか。
もしいたら、その時は、しっかりと話を聞く必要もないし、相槌も適当でいい。

そんな自分軸でしか生きていない人間は、相手にする必要もないのではないかと私は思う。

ー完ー

ティモンディ前田裕太「人生とはマラソンだ!」【僕のあまのじゃく#75】

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