環境が変わった友達と話す時に意識するべきこと
―自分の本心が言える人って、同棲している友達、結婚している友達など、同じ境遇の人に限られてきませんか?
山科ティナさん わかります。例えば友達同士でも“恋人と同棲している”という共通点があれば、同じ悩みを共有できたりしますよね。でも、そこからどちらかが結婚したりしたら、寂しくなったり、「抜け駆けされた!」と思ったりしちゃうのかなって。
ものすごい愛さん 私は、“自分と他人を区別する”ってとても大事だと思ってて。
私は結婚していて子供はいないんですが、結婚して子供もいる子、結婚はしていないけれど彼氏はいる子、しばらく彼氏がいない子、離婚経験のある子など、様々な環境の友達が仲のいいグループに混在しています。
相手の状況やそれにまつわる悩み、そのときの気持ちなど、わからない部分がたくさんあったとしても、友達を肯定することは心がけています。
どうしても、相手の全てを理解することは難しいので、話を聞いて「そうなんだ」「そういうことがあったんだね」と言う。
これは決して冷たい反応ではなく、「あなたの人生ではそういう喜びと悲しみがあるんだね」と肯定をしたうえで、「あなたのことが好きだから、あなたが嬉しいと私も嬉しい」「あなたのことが大事だから、あなたが誰かに傷つけられたら腹が立つ」くらいが、ちょうどいい距離感なんだと思います。
自分と他人の境界線がぐちゃぐちゃになったり、相手の人生に踏み込み過ぎたりすると、自分と他人を比較して「同じ境遇だったのにあの子だけ…どうして私は…」って傷ついたり、さっきもお話ししたように「どうして結婚しないの?絶対したほうがいいのに!」と押し付けてしまったりするのかなって。
山科ティナさん たしかにしょう子も1話で「たしかえみが処女を卒業したのは…」と友達と比べるシーンがありますね。
ものすごい愛さん そうやって人と比べることはコンプレックスにも関わってきますよね。同じ境遇の人と話して、お互いが抱えている悩みを「わかるわかる~」と共感し合うことで気持ちが楽になったりもしますから、それはそれでとても大事なことだと思います。
でも、境遇が違ったとしても、フラットな目線で物事を見れて、理解を示してくれる人ってきっとたくさんいるはずなんですよ。そういう人に「恋愛ってしなくちゃいけないの? わたしは全然したくないのに!」と本心を打ち明けたら、「え?別にしたくないならしなくていいじゃん」と肯定してくれて、案外気持ちが楽になることもあるかもしれません。
友達と自分を比べてしまう本当の理由は…
―今回のインタビューが実現したのもTwittrがきっかけだったように、SNSは人とつながることができる素晴らしいツールだと思っています。ただ新しいつながりが生まれる一方で、昔のつながりにとらわれてしまうこともありますよね。
インスタのストーリーズで「自分は残業中なのに、地元の友達は子供をお風呂に入れていて…」など昔の友達と自分を比べてしまう人もいるみたいで…。SNSを見て、自分と友達を比べて自己肯定感が下がってしまう人に何かアドバイスはありますか?
ものすごい愛さん つい自分と友人を比べちゃうのは、相手と自分にいくつかの共通点があるからだと思うんですよね。
たとえば、“叶姉妹”と自分って絶対比べないじゃないですか。めちゃくちゃお金を持っていそうだし、華やかでオーラがあるし、いつもグッドルッキングガイを連れているし、羨ましく思う要素がたくさんあるはずなのに、彼女たちを見て「ひゃ~すっげ~!」と思うことはあっても、「叶姉妹と比べて私は…」なんて落ち込んだりしないじゃないですか。
たぶん、自分と友達は同い年で大学も一緒、似たような職種に就いて、同じ時期に彼氏もできたのに、向こうは結婚して仕事を辞めて、子供が産まれて夕方から家族団欒を楽しんで…。でも自分はまだ子供はおろかその彼と結婚する予定もないし、今日だって遅くまで残業だし…みたいな。
共通点が多く、同じような人生を歩んできたはずなのに、いつからか差が生まれたように感じ、「自分のほうが遅れている」「相手のほうが幸せそう」と思うから落ち込むんじゃないかなって。
今の時代にSNSを一切見ないっていうのもかなり難しいのですが、相手が見せているもの、自分が見えているものだけが全てではないというのはたしかです。私はSNSに嘘は絶対に書かないって決めてますけど、わざわざ書いていないことなんてたくさんありますよ。
だから、私のTwitterを見ている人は、わたしがお金持ちで毎日とても豊かな暮らしをしていると思っている人も結構いるみたいで。以前、「きっとものすごい愛さんの旦那さんはカッコイイに違いない!吉沢亮にそっくりなはず!」と言われているのを見た時は、「私にとって夫は世界一カッコイイけど、吉沢亮さんには一ミリも似ていないんだよな…」と笑っちゃいました(笑)
それと同じで、友達がSNSに載せていることも全てではなくて。「幸せそうに見えるけど、実際は不仲なんだろうな」と都合よく解釈して気持ちを落ち着かせたり悦に浸ったりするのではなく、見えている部分だけが全てではないということは知っておく必要があると思います。
そもそも、比べた先に何があるの?っていつも思うんですよね。
山科ティナさん 私、一時期仕事に対してやる気を出すために同世代のクリエイターさんとあえて比べて自分を焦らせる、ということをやっていました。そしたら自己肯定感がめちゃめちゃ下がってしまって(笑)
でも、逆にまったく比べないとだらけてしまうな、という焦りもあったりして…「健全なやる気やモチベーションの保ち方」はありますか?
ものすごい愛さん 山科さんは作品をゼロから生み出すお仕事ですから、たくさん漫画家さんがいらっしゃる中で「こんなにおもしろい漫画を描けるなんてすごい」とか「あの人は全ての作品でヒットを出せるなんて!」っていう尊敬から、「よーし!私も頑張るぞ!」と鼓舞することはきっと必要ですよね。私は仕事に対するモチベーションというものをあまり考えことがなくて難しいのですが…。
―SNSを見てどこまでをいい刺激としてとらえればいいのか、逆に「こんなことまで考えだしたらNG!」などの線引きがあれば知りたいですね。
ものすごい愛さん SNSは誰かの投稿を見て楽しんだり、自分の生活がよりよくなるヒントをもらったりするツールとして使えたらと思うんですよね。「この人がお取り寄せで買ってるチョコレートおいしそう! へぇ、ここから買えるんだ! 私も注文してみよ~!」とか。
でも、その人が書いていない部分まで想像しちゃうようなら、いったんSNSを見ないほうがいいと思いますね。「この人、いつもブランドものの高い服の写真ばかり載せてるけど、お金はどうしてるんだろう…自分の給料じゃこんなに買えないはずなのに…」という風に、自分の勝手な想像に飲み込まれそうになったら危険信号ですよね。
山科ティナさん たしかにありますね、そういうの。
ものすごい愛さん 私はかれこれ10年近くTwitterをしていますが、「あれ? ちょっと疲れてるかも」と思ったら、Twitterを見るのをやめて距離を取るようにしています。やっぱり楽しく使いたいですからね。
特に、今のコロナ禍でSNSでは多く情報が勝手に流れ込んできたり、いろんな人の意見が見れるようになっているので、「ちょっとしんどいな」「今自分の中でよくない感情が生まれてるかも…」と気づけるのは、自分を守るための術としてできたほうがいいと思います。