「ああ、今日も魅力的な自分じゃなかった」
毎朝、鏡を見ずとも繰り返される絶望。一晩でいいから手に入れてみたい才能や美貌。「あなたはあなたでいい」とどれだけ言われても、翌朝には「とはいえやっぱり綺麗になりたくね?石原さとみになりたくね?」と溢れてくる願望。
要するに、私たちは美しくなることを諦められないんです。私はその気持ちこそ、大切だと感じています。外見も内面も、磨く努力を怠った人間なんて、魅力的になりようがないでしょう?
内側でも外側でもいい。コンプレックスを克服しようとしたり、嫌な自分から変わりたいと思ったりする気持ちを、抑え込まないでください。ただ、その向上心に一点だけ。今日からあなた自身に、監視役をつけてみてもらえませんか。「誰に向けて美しくなろうとしているのか」。その一点を、よくよく考え、客観視してほしいのです。
「どうすれば自分を好きになれるの?」
この悩みを解決する鍵は、おそらくこの監視役が握っています。
つまりは、元カレの今カノのアカウント見つけて毎日チェックして落ち込んでいるような日々だから、あなたは成長しないのですよ。いったい誰と勝負しているんですか? 元カレの今カノがきれいなことくらいでいちいち落ち込んでいるような自分を、好きになれるわけないでしょう?
別れてしまった元恋人を後悔させるために自分を磨くのもいい。憧れの俳優に近づくために努力をするのもいい。でも、あなたを卑下してきた存在や、あなたに呪いをかけてきた存在(それこそ、「おっぱいが大きかったらな~」みたいなまじでぶっ飛ばしたくなる一言をくらわせてきたモラハラ男子どもとか)に向けられた努力だったら、今日からやめてみませんか。
なんでそんなド底辺のやつらのために、最高な生命体であるあなたが人生を浪費しなければならないのでしょうか。いや、わかりますよ。悪口言われたら見返したくなるのが人間ってもんですよ。そりゃあ、ブスって言われたらキレイになりたくなりますよ。でもね、その一方で、キレイだねって言われていた方がその何倍もキレイになっていくのもまた事実なんですよ。
だから、あなたを卑下した人からは離れて、あなたをキレイだと言ってくれそうな人のために努力をする。さらに言えば、自分をキレイだと思えるために、努力する。それでいいじゃないですか。
ありのままを好きになれとかいう綺麗事は嫌いです。でもせめてキレイになった自分は好きになれるように、努力してみませんか。今日も美しくない私たちは、そうやって少しずつ、美しくなる努力を重ねていきませんか。
また明日悲しくなったとしても
鼻息荒く熱弁してきましたが、どうすれば自分を好きになれるのか、頭では理解できても心で納得することは本当に難しいです。きっと翌朝になっちゃえば、また理想ではない自分に悲しくなることでしょう。
でも、石原さとみは一日にして石原さとみに成らず。あなたもまた、魅力的であろうとする努力を積み重ねていくことで、魅力的になっていくのだと思います。
そのときを楽しみに、あなたという花瓶に水をやっていくのはいかがでしょうか。